気楽に海外旅行INDEX

思いつくままミーハー夫婦は海外を旅行しています。
が、いつ何処へ行ったのか分らなくなるので記録したものです。
から、あまり旅の参考にはなりませんです。ハイ・・。

OCT/1993:アメリカ
JAN/1994:パリ・ローマ
SEP/1994:シンガポール・バリ島

SEP/1995:中国
OCT/1996:トルコ・ギリシャ・エジプト
JUL/1997:ロシア・フィンランド・スウエーデン・ノルウェイ・デンマーク
SEP/1997:香港・マカオ
MAY/1998:タイランド
OCT/1998:ドイツ・オーストリヤ・チェコ・スロバキヤ・ハンガリー
APR/1999:インド
OCT/1999:ペルー・ボリビヤ・ブラジル・パラグァイ・アルゼンチン
JUN/2000:スペイン・モロッコ・ポルトガル
NOV/2000:カンボジヤ・ベトナム

JUN/2001:メキシコ・カナダ
NOV/2001:マルタ・ローマ
JUN/2002:マレーシア
JUN/2002レバノンシリヤヨルダン
NOV/2002:台湾・台北
JUL/2003:リトアニア・ラトビア・エストニア
JUL/2003:ドイツ&リヒテンシュタイン・スイス

JUL/2004:ウズベキスタン・トルクメニスタン・タジキスタン
AUG/2005:カタール・チュニジア
NOV/2005:韓国
MAY/2006:中国シルクロード
OCT/2006:アイルランド゙
OCT/2006:ポーランド
JUN/2007:ジンバブエ・ボツアナ・ザンビア・ナミビア・南アフリカ
NOV/2007:ラオス・ベトナム
APR/2009:イラン
JUN/2009:アイスランド・グリーンランド
NOV/2009:オーストラリア
JUN/2010:イスラエル・パレスチナ
SEP/2010:中国東北5都市
NOV/2010:パナマ・ベネズエラ・コロンビア・エクアドル
JUN/2011:ブルガリア・ルーマニア
NOV/2011:ネパール
DEC/2011:ダンガン・ソウル
OCT/2012:ウクライナ・モルトバ・ベラルーシ
AUG/2013:グアム
OCT/2013:ニュージーランド
JUL/2014:釜山・慶州
OCT/2014:スリランカ
DEC/2016:台湾一周
JUN/2017:中国四川省
SEP/2017:カタール・アゼルバイジャン・ジョージア・アルメニア
DEC/2017:ミャンマー
JAN/2018:イタリヤ
JUL/2018:シンガポール
NOV/2019:上海・江南地方
FEB/2020:アメリカ西海岸


アメリカ研修の旅 1993年10月
ニューヨークのホテル・レストランショウ会場
 何年ぶりかの海外旅行は、会社での研修旅行。「食事とサービス」の勉強です。人種のルツボのアメリカに出かけました。同業者30人との旅でしたが、一流ホテルで宿泊し、おいしいものを食べるという、結構なものでした。サンフランシスコのフィッシャーマンの蟹とシチューにはご機嫌でした。多くの友人が出来、その後も楽しいお付き合いをしています。



2.
パリとローマ福引の旅 1994年1月
  MIの友人が駅ビル商店街の歳末抽選会で「海外旅行パリ&ローマ」の権利を獲得しましたが、都合が悪く行けないと言うことで、急遽我々で行くことになりました。神に感謝・・・。ひさしぶりの修学旅行のようなもので、団体ツアーでしたが自由時間を多く取り、勝手にあちらこちら懐かしい場所へいきました。

モンマルトのプロモ電車
パリのホテルはエールフランス系の「メリディアンエトワール」でそこそこです。地下鉄でノートルダム寺院へ行き、まずは懺悔して、その後モンマルトではPROMOTRAINに乗りましたが、寒いし、シーズンオフでもあるので、車上から見学する方が、逆に歩行者から見学されるありさまでした。カルチェルタンでショッピング、エスカルゴはレストラン「ベリィーリ」でグルメしました。パリ最後の夜は定番セーヌ川のバトウパリジャン(食事付きクルーズ)、盛装でディナーとしゃれて「パリの屋根の下で」を聞きながら別れを惜しみました。
ローマでは「ローマの休日」もどき、あのスペイン広場の階段で写真です。以前来たときは貧乏旅行でしたので、何も出来なかったその仇を討とうと、食べたり・買ったりハリキリました!!再々度、来たいのでトレビの泉にコインを入れといて、カラカラ浴場や泥棒市場、真実の口、フォロロマーノ、コロセウムと見るところが尽きません。
ところで、カラカラ浴場に行くのにタクシーで行き、帰りの迎えのタクシーを予約をしたのに迎車が来ません。しかたなく町に向かって歩いているとやっと別のタクシーが通りがかり乗り込みました。事情を話すと料金を「ロハ」にしてくれました。チップも取りません粋なイタリヤ野郎もいたもんです。



3.
シンガポールとバリ島(51)1994年9月
  シンガポールではオーチャード通りを散歩、ぽい捨て禁止の国際都市、道路がきれい。さて食事は当然屋台村、この町は本当に料理がおいしい。周りが海ということ、国際都市で良いコックさんが集まっている感じ。地元の人が集まっている場所を捜し、美味しいものに出会うとき、至福の感です。鹿肉の砂鍋(サーコー)はグーでした。ショップは中国人町やアラビヤ人町でシルクをゲット。お土産にウイルソンプロスタッフ95の硬式テニスラケットが格安(126$)なので息子に思わず買ってしまいました。
  バリ島のホテルは「メリアバリ」まさに花いっぱいのパラダイス。ヒンズー教の島です。午前中はビーチで昼寝して、プールで泳いで、テニス(日本からラケット持参)でリッチな気分、おお汗をかいてアイス入りエビヤンをゴクリと飲んでしまい思わずビクリとしました(当時コレラが流行っていました・氷は生水で作るので危険です)。市内観光後はバティック(サラサ)を物色しました。
料理は海の幸いっぱいでした。


4・
中国(52)1995年9月
西安
  上海は外灘(わいたん)が何故か懐かしく、親父が戦争で来た事があり、その話を聞いたからでしょうか。魔都と言われる町の至るところが工事中、熱気に包まれてすごいエネルギー。外人専用のデパートでは「痩せる石鹸」が大流行のときで、誰もが手に一杯の石鹸を握っていました。ここはやっぱりチャイナシルクが目玉です。上海料理の本場、小龍包子(しょうろんぽうづ)の美味しいこと…ホテルは銀河賓館でした。玉仏寺・予園・花鳥魚市場を散策。すごいエネルギーがみなぎっています。

桂林飛行場
  桂林は絵になる風景の連続、飛行場からも奇山見えます。奇山は美しい限りです。ホテルは「Holiday Inn Guilin」で食事に狸の肉も出ました。船もまたよし「桂林山水甲天下、陽朔山水甲桂林」の絶景を見ながら離川下り、船内での料理・・・船尾では川の水で鍋釜を洗っている様子、これには参いりましたが、一応いただきました。港では日本語の上手な売り子達が「千円、千円」と走り回ります。

西安餃子鍋
西安(シーアン)、かっては長安、シルクロード起点の町、歴史の重みが一杯詰まっています。紀元前1134年西周が都とし、1000年栄えたそうです。西安事件現場(1936年)。遣唐使の話など聞くと興奮します。また、餃子の種類も多く、ばかうまでした。鐘楼もいいね・大雁塔はもう傾いていました。いやいや・・・世界遺産の秦の始皇帝の墓の大きいこと、また、兵馬傭の規模には誰でもが圧倒されることでしょう。それの第一発見者農民の「揚さん」とも会いました。

 櫨構橋ー日中戦争勃発の地です。
 北京はなんたってテレビでおなじみの景色、天安門広場の大きさには、中国の歴史の偉大さが感じられます。紫禁城・故宮・天壇ワオワオ・・・おおきな大理石階段は冬期道路を凍らせて運んだそうです。また、教科書で見た万里の長城6000キロがそこにありました。感激!!
そして、櫨構橋ではただただ無言、頭が下がります。はっきりと日本が悪い!!。ここでは日本に対する憎悪が肌で感じられます。北京への入り口の一つで、戦略上需要なポジションであったことは理解できますが・・・。




5.
トルコ・ギリシャ・エジプト(53)1996年10月
トルコ

トルコ、カッパドキアのオルタヒサール、10世紀頃栄えた町
トルコの初日は
懐かしい町イスタンブールに宿泊、グランドバザールで「チャイ用ティセット」の食器をゲット、このバザールの規模は世界一の規模だと思います。ダウンタウンではシシカバブ・ムール貝のフライ・ドネルケバブを賞味しました。茶色のケバブは羊、白色はチキンです。ブルーモスクや映画でおなじみの「トプカピ美術館」を見学、懐かしのマルマラ海峡を渡り、アンカラまでは「いつかきた街道」カッパドギヤを目指しました。それ等を見学後トルコ絨毯をゲットし日本で無事受け取りました。


ギリシャ
ギリシャのアテネ1972年7月以来同じ場所でツューショット
1972年に戻るにはこちら
アテネは24年前に来た時、貧乏旅行で何も食べることが出来なかったので、今回は予定のすべてをキャンセルして、当時行きたかったアクロポリス・パンテノン下のプラカ地区のレストランでギリシャ料理の「ムサカとスブラキ」を民族音楽と供に楽しみました。
青春時代に二人で訪れたところを25年後に再び来れるなんて感動的でした。



エジプト
ピラミッド&スフインクス
 エジプト・カイロのホテルで目を覚ますと、窓の外にはピラミッドが見えました。社会や地理や歴史の教科書に必ず出ていたピラミッドやスフインクスを目のあたりに見て、感激ひとしおです。さらには、4大文明の一つに触れ、ホモ・サピエンスの長い歴史の中では瞬間的に生きている今を、大事に生きなければいけないとあらためて感じました。ホテルでは時間がありましたのでピラミッドを見ながらテニスをしました。さらにアスワンを上り
ハイダムへと盛りだくさんの旅、なつかしの砂漠もありました。


ハトシェプスト女王葬祭殿
その後悲しい事件がありました。紀元前に3階建てのマンション風建物があったこと自体がすごい。










6.
北欧ロシア(54)フィンランド(55)・スウェーデン・ノルウェイ(56)・デンマーク1997年7月
ロシア
赤の広場の聖ワシリー聖堂
  ロシアはモスクワ空港の到着手続きの非効率さに出会い旧ソ連に来たのだと実感しました。「ホテルロシア」を出て赤の広場を散策していると、聖ワシリー聖堂の前で何も頼まないのに写真のシャッターを押してくれるご婦人がいましたが(左の写真)、時代の変わりようですネ。スパスカヤ塔・レーニン廟・歴史博物館とテレビ画面でおなじみのものが多く点在しています、それでもマフィヤが多くいるので注意は必要との事でした。結婚式がやたら多く、そのかわりすぐに離婚もするそうです。やっとの事で自由を獲得したのに、なんと元大統領ゴルバジョフの評判の悪いこと、現地ではどこでも悪者扱いでした。確かにアルバート通り(屈指の繁華街)を歩いても商品は少ないし、貧困なのでしょう。町中にはほとんどトイレがありません。でも結構人々は元気で親切です。



エカテリーナ宮殿広場のアレクサンドルの円柱
 サンクトペテルベルグ(昔のレーニングラード)のなんと優雅なことか、ここはヨーロッパの一部の感じで、聖イサーク寺院・血の教会・・・エカテリーナの権力の良し悪しは別にして、すばらしい都市です。エルミタージュ美術館の立派なこと、250万点の展示物、でも欧州のルーブル美術館や大英博物館に比べたら展示物が少なくてかわいそうな気がします。しかし歴史の重みは壮大で、あのロシア革命前後の風景が脳裡をよぎり・・ネフスキィー通りでは映画「ドクトルジバゴ」をつい思い出してしまう光景が続きます。なお、ホテルで食事中にウエイトレスがキャビアを売りに来ますが、地元の商店主に聞いたらほとんどが偽物で、本物は街中の商店で¥4000以上しました。バスで国境を越します。ロシアからフィンランドの街道はヤナギランと白樺の木が永々と続きます。

フィンランド
ヘルシンキの朝市でベルギーワッフル 
フィンランドはスオミ(湖)の国、ロシアの国境を過ぎると急に明るい風景が広がり、ドライブインのコーヒーもすこぶる美味しくなります。首都ヘルシンキは「SOKOS HOTEL」から港はすぐ近く、名物のマーケットで焼きたてワッフルとムイック(小魚)のフライでグルメです。これがコーラとすこぶる合う。shoppingは磁器「ARABI FINLAND」をゲット。ウスペンスキー寺院を見学・・・シリアラインの大型客船でストックホルムへ一泊の船旅、船中は大型ホテル&デパート並み、ショップ・レストラン・バー・カジノがあり、勿論Taxfree。本場?バイキング料理の海老が新鮮でうれしい・・・。

スウェーデン
市庁舎の庭からビール工場 
スウェーデンの首都ストックホルム 毎年12月に開かれるノーベル賞晩餐会会場の市庁舎はおなじみ、トロットニング宮殿を見学、それにしてもなんと裕福な国なんでしょうか、街も美しく、家並みも綺麗、自然も十分残されている。・・でも個人に聞くとそうでもないと言いますが・・・。郊外のホテル(★★★★)にエアコンがないので暑かった。



ノルウェイ
 ベルガンハンザ同盟時代の建物
ノルウェイはオスロー市内でベルゲン製のザックを探しましたが見つかりません。日本では簡単に手に入るのに・・・どうなっているのでしょうか(日本で売っているのはベトナム製です)。 雄大な彫刻のあるフログネル公園・スキージャンプ台を見学。
そして、ベルガン鉄道でフィヨルド山岳地帯の入り口ミュールダールへ、そこから登山鉄道で渓谷をとおりフロムで世界最大のゾグネ・フィヨルドを見学、その中を船で行くのは壮観です。グッドバッケンからバスでボスの町へ、町中ではサイクリングで散策(1時間3$)気分爽快。翌日バスでハンザ同盟の港町ベルガンへ移動。グリークの家を見学。飛行機でコペンハーゲンへ。 

デンマーク
コペンハーゲンの人魚(岡田真澄の母がモデルとか?)
デンマークのコペンハーゲンは市庁舎・アンデルセン像・人魚像(昔と変わらず)を見学。チボリ遊園地は昔来ましたが貧乏旅行でしたので、外から見ただけでした。今回は中に入り、ゲーム等をして楽しめましたが、公園の入場料を払ってレストランに行く感覚は理解しにくいですネ。ハムレットの舞台となったコロンボルグ城を見学しました。本当の話ではないのに、本を読んだり、芝居を見ているので何故か感動を覚えます。ロイヤルコペンのコーヒーカップを友人の新築祝いにゲット・・・。
北欧4カ国は人々の心が豊かですネ・・・。デンマークでは高速道路で生活が便利になるより、不便でも今の環境を選ぶそうです。