女一人・イラン歴史物語 no.1
APRIL/2009

長年の夢であったペルシャへ行く機会が出来たので、女一人で出かけ、数千年の昔から面々と続く歴史物語に触れに行くのでした。PAに空港まで送ってもらい、桜の咲く日本を後に14:30発のイラン航空に乗ります。成田空港に出発2時間前に集合やはり予想通りかなりの時間がかかるようです。テロの関係で多くの時間を国際空港では取られるようになってしまいました。それも安全のためと思えば仕方ないこと、我慢しましょう。予定通り飛行機は飛び上がり、ソウル経由で15時間かけてテヘランへ、当然ノンアルコールです。機内の女性客室乗務員は全員がスカーフ姿でエキゾチックです。空港着陸前にアナウンスがあり全女性乗客も髪の毛をベールで隠す作業に没頭されるのですが、日本で練習してきた割にはなかなか上手くいかないので、近くにいたイラン女性にやってもらいました。そして、時差の関係で同日の真夜中にホテルへ着きましたが、眠ってしまうと起きるのがつらいのでそのままシャワーを浴びて起きていました。

 テヘラン・ラレホテル入り口 客室 ブッフェ朝食

翌早朝、再び空路でケルマンシャーに向かいます。
ラレホテルを出発して再びテヘラン・メヘラバード空港へ、ここでは男女別室でのそうとう厳しいボディチェックがありびっくり仰天です。そこまでやるか・・・。

ビーソトゥーン50分のフライトでケルマンシャー空港へ、その後バスで、ビーソトゥーンへ行きます。
ビストゥーンの碑文
ダレイオス1世の功績を記念したビストゥーンの碑文「イラン最大のダイレオス王の戦勝記念碑。
王の力を示すため「王の道の途中の岩にリレーフが掘られました。
反乱軍を制圧した模様が、古代ペルシャ語・バビロニア語・エムラ語の三カ国の言葉で書かれています。


遠くて見えない・・・。
双眼鏡が欲しい・・・。
クルド人が多い町です。





ターゲ・ボスターン (楽園のアーチ)

ターク・イ・ブスタン
ササン朝時代のレリーフ岩山をくりぬいて浮き彫りが残るターク・イ・ブスタン(とも言う)へ。
2006年に世界遺産に登録されました。

カンガヴァール遺跡:BC3世紀〜AD3世紀パルティア時代の遺跡。アナヒタ神殿の跡、聖人の廟(現在はモスク)、拝火教の鳥葬の跡地、太陽神ミトラ・シ


遠くにアルバント山3572m、雪が残っています。




左が太陽神ミトラ・中がシャープル
一世右はアフラマズダ
6世紀 ギリシャ神話・勝利の女神
「ニケ」シクルロードを通り正倉院
の「飛天」のルーツとなります。


ハマダン市内
アルバンド山の麓にある町、
桃の花も咲いていました。1800mの高原にありかなり寒い。ハマダーン州の首都、紀元前600年頃、メディア王国の首都として繁栄しました。現在農業や陶芸が盛んです紀元前3000年に遡る歴史を有し、紀元前600年メディナの首都エクバタナとして栄えました。

サンゲシール(石のライオン像)

ハマダンの街はかって「エクバタナ」という名前でした。
メディア王国時代(紀元前800年頃)につくられたと言われていますが、東方進出したアレキサンダー大王によって作られたとか、エワバタナで死んだ一番の忠臣のために作った墓とか、ミトラ教時代、シンボル(太陽の象徴)など様々な説があります。
現在はごらんのとおり、朽ちた岩のかたまり、長い年月をかけて侵食されたようです。







金曜日のモスク(ジャーメモスク)

イランでは各地に金曜のモスクがあります。
バザールに囲まれたモスクは10世紀のもの。美しいタイルは13世紀に増築されました。
イランは国教がシーア派のイスラム教ですが一日3回お祈りをします。
昔はイランでもアザーンという礼拝の呼びかけがモスクから流されていましたが、今は時計で祈りの時間が分かるので呼びかけはしないそうです。
隣接しているバザールを散策しましたが、生活用品が主、人々がひとなつっこいです。その後、ザンジャンへ向かいます。

途中、シリンス村で休憩。昼食はホダバンディのレストラン「メヘレセ」

   
 ホレシュ・デ・バデンジャン
(茄子の煮込み)
 サラダ・ライス・ナン
レモンシリン(甘いレモン)

ソルターニーイェ


ゴンバデ・ソルターニーイェ
ザンジャーンの町から車で30分。
イルハーン王朝の傑作。
13世紀モンゴルがペルシャの地を侵略し、タブリーズを首都としましたが、14世紀にはイルハーンの8代君主「ウルジャイトウ・ハーンが国を起こしました。

こちらのドームは1302年〜1313年に作られました。ウルジャイトウの霊廟です。高さ50mのドーム、直径25m、8本のミナレットを持ち、青タイルが美しい。建物修復中でした。





外観より内部がすばらしく地元の観光客も大勢見学していました。

雪がまた降って来ました。4月ですヨ。

夕食後サンジャンの街で検問にひっかかりました。これがなかなか手強かった。





ダンディ峠

イラン北西部の朝は冷え込みます。タフテソレイマンまでは山を越えて向かいます。雄大な景色が広がります。

タブリーズダンディ村で休憩しましたが、アゼルバイジャン語を話す人々が暮らしています。

景色は雪・・・雪ダンディ峠で写真タイム。標高2500m、羊を多く見られます。
バス・トラック・タクシーには必ず「タコメーター」が付いていて、速度や距離・休み時間のチェックが一日数回行われます。一般の乗用車はチェックなし。



タフテ・ソレイマン(世界遺産)



ソロモンの玉座」として知られるタフテ・ソレイマン遺跡〜城壁はササン朝時代のもの。入り口より湧き水でできた湖をとおりゾロアスター教神殿へ。イルハーン国時代の宮殿→中央にある深さ112mの池(冬でも泳げる)→博物館→ソロモンの玉座→拝火教神殿→アヒタナ神殿
〜タフテソレイマンはパルテシア時代(BC3〜7に作られた。ゾロアスター教の神殿です。





ササン王朝3〜7世紀にかけて大きくなり。7世紀ビザンチン軍により破壊されその後放置され、13〜14世紀モンゴル王朝のイルハーン時代にも増改築されました。19世紀初頭イギリス人に発見されるまでは忘れられた存在になっていました。

事件
ここで長年履いていたトラベラーシューズの底がぬけました。こんなところで壊れるとは・・・。タリーズの町に着いたら街中の靴屋を探し回り、閉店間際の靴屋を発見、駆けつけて間に合わせのスニーカーをゲット、これが相当のものでしたが最後にイランに残して来ました。

タブリーズ

古来より貿易路の宿場町として栄えたダブりーズ

     
 ゴスタレッシュホテルに到着して夕食。
コフテ(肉団子)スープ・サラダ・紅茶・ワッキー(タブリーズ名物)



ブルーモスク

15世紀に建てられたモスク。昔はドームもミナレットもありました。青のモザイクを使った、きめの細かいデザインと多様なペルシアンブルーの色合いが美しい。濃紺、空色、トルコブルーなど幅広い青色が用いられている。






アゼルバイシャン博物館


1階紀元前5000年前の壷、様々なこの地域からの出土品が並びました。当時生息していた動物が描かれたり・・・。紀元前の貴金属もすばらしい。
2階 サファービー王朝のじゅうたんのレプリカ(本物はイギリスのヴィクトリア博物館に展示されています。)**カジャール朝時代のガラス箱*コイン印章地下::タブリーズ生まれの“アハット・ホセイン;氏の作品の数々、戦争・平和についてが主題。自由時間中に見学。

〜バス出発、本日金曜日でイランの休日の為バザールやお店のいくつかは閉まっています。

     
 昼食:はイリフチの町のヘサールレストラン
タブリーズ名物、アーブグーシュトとナン・スイカ・紅茶
です
アブグーシュトの食べ方:@汁を器に入れる。Aナンをちぎって器にいれるB食べる
C専用の棒で残った具をつぶすDナンに巻いて食べる


キャンドバン村
タブリーズの町から南へ50km、サハンド山の麗にある村。トルコのカッパドキアのミニ版です。


奇岩が林立する風景が見事なキャンドバン村

雪が降ってきました。1400年前アラブ人がイランに入ってきた際、この地に逃げ込みその子孫が今でも住んでいます。
奇岩をくりぬいて住居が作られ家の中は夏涼しく、冬暖かい干しナッツなどの露天が多く並んでいます。



アブダビル

シェイフ・サフィ・オッディーン廟

アブダビル町はサファビー朝発祥の地
イスラムシーア派の教団である、サファビー教祖、シェイフ・サフィ・オッディーン廟。
彼の6代後の子孫、イスマル一世が自らを“シャー‘と名乗り、シーア派を宣言した後、イランの国教となりました。
中にはイスマル一世とその家族の墓もあります。
降室には6人で7年かけて作られたジュータンがひかれており、たて11m横5m35cmの大きさで役3700万の結び目があります。


     
 昼食:市内のレストラン
煮込み料理(ホレシキバタン)アーモンド・卵・羊肉  サフランライス、紅茶、スープ


カスピ海

カスピ海沿岸の港町、バンダルアンザリ

アンザリ潟をボート
アゼルバイジャンの国境沿いを通過します。緑が美しいアラーズ(ARAZ)川の横を走り、カスピ海地方の田園でお米の産地到着です。
豊かな自然を満喫できるアンザリ潟をボートにて遊覧。
途中ロシア船がありました。
カスピ海にも少し入ります。潟は淡水で(カスピ海は塩水)広さ250ku。深さは約2m。カスピ海と続いていますが、水が混ざり合うことなないそうです。国から保護地区と指定され、つりは禁止されています。





     
 夕食:市内レストラン
 セフィットマフエ(カスピ海の中で一番おいしい魚)
ライス・ヨーグルト・ナン
市場で焼き肉 



再びテヘランへ向かいます。



ホテルを出発、けしの花が咲いています。
フーマン村を通過しますが、この村の名物「コルチェ」の味見、ニッキ・黒砂糖・くるみを混ぜたものをペースト状にしたもの、2つで25000リアル。しつこい味で、日本に持ち帰りましたがNGです。
周りはお茶畑が広がっています。


スマーレイ村


     
 海抜1,050mの山の急斜面に段々畑のような家が立ち並んでいます。
独特な風景のマースーレー村、人口は1600人、冬になると寒くなるので多くの人は
出稼ぎにでます。お店をのぞきながら、村の中心部へ歩いていくと。
気がつくとどこかのお宅の上にいるのです。
なんともいえない不思議な気持ちになります。
家が立ち並ぶ地域が急斜面で、道を作るスペースが無い為、
他人の家の屋根に道を作るようになったそうです
 


     
 見た目女性は黒衣装だが中身は  金ぴかです 住居 

     
 昼食:マースレー近郊外でサラダ・ナスとにんにくの煮込み・ソラマメの煮込み・ライス・紅茶
ゴマと蜂蜜のお菓子、シーニコンジェディがあまくおいしかったです。

イランの現在の法律では条件付で一夫多妻が認められています。その条件とは先の奥さんが、後の結婚を認めること。そして、両方の妻子を分け隔てなく養うこと。実際には経済上の理由からほとんど一夫多妻は見られない。実は離婚も多く5人に一人は離婚しているそうです。

NEXT