中国東北5都市列車の旅(MIの一人旅) sep/2010

 
異常な熱さが続く日本列島を離れて、少しは涼しい北の国、中国の東北部を目指します。
おりしも尖閣列島では中国の漁船と海上保安庁の船が接触した事故が発生して中国では大騒ぎです。
大連あたりでは石ころを投げられるのではないかと心配しましたが、だいたいニュースは現実の一部を拡大する事が多くて、そんなに深刻には考えずに、予約をキャンセルしないで出発しました。
列車の旅なので、荷物は出来る限り軽くしたいので、ネットでさがした、リモワのエアー88gをお供に出かけます。
行きは北京経由で国内線に乗り換え、一日がかりで黒龍江省の省都ハルピンに着きました。
現地は快晴で日本の暑い夏と変わりませんでした。



ハルビンハルビンはロシアとの関連が多く国境につながる町。


1896年の清朝と帝政ロシア都の間で結ばれた、不平等条約「ロマノフ条約」と1898の「遼東半島租借条約」によって権益を拡大したロシアが鉄道と町の建設に着手し大きな変貌を遂げました。
出遅れた持たざる国、日本は関東軍が1931年満州事変を起こし、1932年に傀儡国家「満州国」をでっち上げ、1945年の敗戦まで支配を続けました。
このエリアにあの悪名高い七三一部隊がありました。
聖ソフィア大聖堂(1907−1932年)
高さ53.35m 20001人収容
スターリン公園
防洪紀念塔


ハルピンビールは1900年
中央大街ビアーガーデン
市場の明るい売り子たち こんな食物をうっています
 帝政ロシア時代の街並み  新市街  ハルピン2泊後列車で長春へ


長 春
長春は日本とロシアと中国が混ざった街。日本人の多くが住んでいた街並はまもなく取り壊されるそうです。しっかりしたビルはそのまま外観を残し、政府の建物などは、医学学校になったりしています。傀儡国家の満州国の
首都として当時は新京と呼ばれていた。

偽満州国宮殿(偽満皇宮)
偽満州国宮殿入り口
入り口には「九一八忘れることなかれ」と書かれています。1931年9月18、関東軍は柳条湖の満鉄線を爆破(柳条湖事件)、それを口実に中国の北大営を攻撃し、満州事変を勃発させた。
偽満州国の宮殿には、吉岡大佐や薄義のマネキンが演出され、往時の日本軍のやり口を紹介しているところです。第一夫人はアヘンにおぼれて悲しい最後を遂げるのですが、清朝の最後の皇帝溥儀の物語はわびしくさびしいものです。

 
入り口 吉岡大佐と薄義 謁見の間  執務室
 
仏間 第一夫人の部屋 薄義と第一夫人  旧満州国国務院


瀋 陽

瀋陽へ列車で移動します。
列車にはトランクを持ち込みますが、座席の周りには置けないので、網棚に持ち上げます。ガイドさんが持ち上げますがタイヘンな重労働でしょう。
どうしても列車に乗り込むときも中国の人は並ばない、おしくら饅頭で、仕舞いには喧嘩がはじまります。男性も女性も大剣幕で大変なことです。
瀋陽は、かって日本では奉天と呼んでいました。東北三省の最大級の都市で漢族を中心に29民族が暮らしています。
清朝の始まりに起きた廟がのこされていて、その後北京に移る前の形が残っています。食事は美味しく、とくに餃子は水餃子、蒸し餃子、焼き餃子とも美味しく堪能できました。多めに出されますので、お持ち帰りをしたくなるほどです。

昭 陵
 清朝第2代皇帝ホンタイジの陵墓
1643〜1651に完成「明・清王朝の皇帝墓群」2004年世界遺産



















方城の正門、隆恩門
隆恩門の横から
   昭陵正紅門

 
瀋陽故宮 北京入城以前の王宮
1625年〜1636年落成、清朝開府時代の宮殿、北京の故宮と並んで瀋陽の明・清王朝
皇宮として2004年世界遺産に追加登録された。
瀋陽故宮鳳凰楼 瀋陽故宮大政殿




大 連1898年清朝政府は帝政ロシアとの間に旅順と大連を租借地とする条約を結ばされる。
その後日露戦争を経て日本における直接統治が始まり、1905年「大連」と正式な名前が決まった。

上野駅に似たような大連駅
1937年日本が建造
駅南側現在の街並み
大連の新しい顔
大和旅館今は大連賓館 活気ある市場
 


旅 順203高地は日露戦争の激戦地、ここを落とせば旅順港を眼下に収められる重要な陣地でした。
1895年日清戦争に勝利した日本は1904年2月朝鮮半島と中国東北部の支配権をめぐり帝政ロシアと衝突1905年まで日露戦争を行い勝利しました。
 
203高地には日本人とロシア人、韓国人の観光客がよく訪れるそうです。
結構なのぼり坂を行くと山頂にたどり着けます。
ここからは確かに湾が一望でき、大砲を備えれば大きな威力になり、
各国がせめぎあうのが理解できるところです。
水師営会見所は再現されたもの 
頂きに乃木将軍が建てた慰霊塔 男装の麗人、川島芳子旧居