イスラエル  JUN/2010

2010年もイスラエルは世界のニュースで注目されました。五月末、パレスチナのガザ地区に救援物資を搬入しようとした船団がイスラエル軍に襲撃され、民間人9人が死亡し、船舶が拿捕され世界中から非難され、不穏な空気が流れている中出発となりました。こんな時にでもツアーは出発します。
直前に添乗員さんから連絡があり、トランクの鍵は閉めないでください、トランクのベルトは外してくださいとアナウンスがあった。普通は逆ですが、入国の厳しさで有名な国だけあって、トランンクは全て開けられることになるのでしょう。これは安全にとって一番良いことだと思います。

予定の飛行機LY(エルアル・イスラエル航空)に近づこうとする全ての人は、
厳重なボディチェックがあります。整備士から清掃人まで含まれます。

成田から空路、テルアビブ へ(香港乗り継ぎ)。香港に到着しトランスファーをするためにはLYのカウンター前でイスラエルの女性係官から色々な質問を受けます。「誰がトランクを詰めたのか」「危険物・爆弾類はないか」「誰かに頼まれた荷物はないか等」質問に答えてOKで、はじめてチェックインができます。 搭乗する飛行機も写真のように機内に入る全ての人がボディチェックされていました。
ところが搭乗口に行くと、いきなり私の荷物に問題があるとかで別室に連れていかれました。トランクが開けられ中身の再チェックです。充電器やバッテリー、それに変圧器まで入っているのですから不審に思うかも、イスラエルの係官から「トランクはいつ頃から使用しているのか?誰かからお土産を預かっていないか」等の質問に答え釈放されてやっと機内の人となりました。

LYの飛行機は中東の上は飛ばずに、カスピ海や黒海などをかすめてキプロス島近くの地中海方面からランディングします。テレアビブのベンクリオン国際空港に到着・・入国審査では「ノースタンプ!」と言いながら入国します。中東のイスラム国家では、イスラエルのスタンプがあると入港を拒否されることがあるそうですから。

Tel-Aviv

西郷氏と大藪氏
勝手に載せましたごめん。

地中海際テルアビブのレオナルド・バーゼルホテルから観光にでかけます。
ガイドさんは西郷広暁氏、この方はイスラエルではトップクラスのガイドさん。お父さんはキリスト教の牧師さんで、本人はイスラエルの兵役も経験した、ユダヤ教徒です。とにかくイスラエルのことは良く御存じで敬服の至りです。麻生元首相のガイドも務めたとかすごい人。また添乗員さんが大藪和彦氏で「ツアーコンダクターオブザイヤー2009年優秀賞」を受章した人。このイスラエル最強のコンビと旅をしたのですから、楽しいのは当たり前、ラッキーなツアーとなりました。

イスラエルはアラブ文化圏の中にある民族的孤島
アブラハムが神から与えられた「約束の地」といわれ。アラブ文化圏の中のユダヤ人の民族的孤島となっています。エレサレムはユダヤ・キリスト・イスラム3宗教の聖地で、世界最古のひとつです。シオニズム運動に基づき、1948年に約2000年ぶりにパレスチナの地に国家を建設した結果、先住していたアラブ人との間で対立が先鋭化し、以後4度にわたって中東戦争をくり返しました。なお、1980年にエレサレム全域をイスラエルの不可分の首都とする基本法を採択したのですが・・・。国際社会には公認されていません

Yafo

ヤッホは紀元前18世紀にさかのぼる古い港町。BC10世紀のダビデの時代も重要な港、
ソロモンの時代にはレバノン杉もここから陸揚げされ神殿建築に使われました。
ケドゥミーム広場入り口 この下に遺跡が 聖ペテロ教会 教会内部


ケドゥミーム広場からテレアビブ
ヤッフォはダビデの時代は重要な港町でした。今はオレンジの「ジャッフォ」が有名です。ここには「皮なめしのシモンの家」があり、イエスの弟子ペテロも宿泊したと言われ、ここから異邦人伝道が始まったと言われているところです。


Jericho

エルサレムから死海に行く途中エリコという町があります。海抜マイナス350mのオアシスの町ですが、そこに誘惑の山(Mount of Temptations)というイエス キリストが悪魔の試練を受けたとされる場所があります。
エリコは「約束の地」で、モーゼの後継者ヨシュアを中心とするイスラエルの民が町の城壁の周りを7回廻って掛け声をあげると、城壁が崩れたという話の舞台でもあります。そして、1994年にガザとともにパレスチナの完全自治地区となっているパレスチナの町です。

イエス キリストがこの荒野で40日断食をし、
悪魔によって試練を受けたとあります。
エリコの壁はどうやら地
震で崩落したらしい。
徴税人ザカイヤが登った
イチジク桑の木。
樹齢2300年らしい。

Qumran

死海沿いのクムラン遺跡へ行きます。死海写本が発見された洞窟を見ますが、その前に映画を見せられます。15分ほど見ると、スクリーンの上部が開きミュージアムへとつながっています。外へ出るとものすごい熱さ、死海の対岸は2006年に行ったヨルダン側が見え、ネボ山もかすかに見えます。

洞窟は崖の一角に有り、よくぞ見つけたと思います。写本は現存する聖書と小文字3個が違うだけで全て現在伝われているものと一致するとの事です。これも常にユダヤ人が迫害を受け、事あるごとに聖書を燃やされたりしたため、そらで言い伝えてきた賜物なのです。


Dead Sea

通常の海が4~6%、死海の場合は25~30%と塩分濃度が極端に高く、全くの「かなづち」でも水面に浮くことができます。世界で最も低い海抜約-417mにあるため、水温がいつも高く一年中海水浴が楽しめます。死海はヨルダン側でも経験してます。ホテルで着替えて望みます。ホテルのプールも海水で良く浮くことができました。
海抜0m地点  のんびり  こうやって浮かんでいます。


レストラン&お土産や「CARANTAL」

シシリック(串焼き)の入ったバイキング、まあまあです。

Massadaマサダ遺跡
ローマ戦争の際のユダヤ軍最後の砦。紀元70年にローマ軍により追いつめられたユダヤ人が篭城し自決したマサダ要塞の跡。この歴史ある地は、「ノーモア・マサダ」というスローガンを生み、二度と同じ悲劇を繰り返さないという決意をユダヤ人に与えました。967人のユダヤ人が3万人のローマ軍と奮闘し、3年間の籠城に耐え最後は自決しました。
標高400mの山頂まで
ロープウェイで登ります。
施設はしっかりと出来て
います。倉庫、ため池
、サウナ、プールまで完
備していました。

ローマ軍は城壁に向かって坂を造り、壁を壊し落城しました。入城後二人の女性と子供が生き残っており、彼女等
から状況を聞き出して、中の様子が解ったのでした。

食物倉庫跡 ヘロデ王が造った冬の宮殿跡 実際の砲弾50kgくらいある。
ローマ人が造
った坂道。


ケーブルカーの
降り口のレストラ
ンでシュニッツウ
エル★★

Nazareth ナザレ   

イエスが青年期を過ごしたナザレにはマリアが受胎を告げられた洞窟があります。その上には受胎告知教会があり、洞穴が厳かに飾られています。マリヤはこの地から1週間かけてエルサレムに行ってイエスキリストを洞窟(うまごや)で生みました。その後エジプトに逃げましたが、イエスは3歳の時ここに戻り30歳まで暮らしました。夫ヨセフは大工仕事(家具造り)をしていました。
ナザレの街から受胎告知教会 ナザレの街並み

Capenaum  カペナウム遺跡

かってはエルサレムやアッコやダマスカスを行き来する通商の拠点として繁栄した町。
ここはイエスキリストの第二の故郷として宣教活動の拠点としたことで有名になりました。
イエスが説教したシナゴークは今遺跡として残るこの地下に埋もれていると言われています。

Sea of Galilee ガリラヤ湖

EIN GEUキブツ内のレストラン
絵のように美しいガリラヤ湖は歴史的、宗教的にもまた現代においても重要なところです。 
周囲を居住地と肥沃な平野に囲まれたガリラヤ湖はイスラエルの貯水池。
ここから給水パイプが国中に引かれており、国の重要な部分を担っているといえます。
また、一年中太陽がさんさんと降り注ぐ温暖な気候、ウォータースポーツが楽しめるレジャー天国です。
遊覧船に乗船したら、日の丸の国旗掲揚が
始まり、君が代が流れてきたのには感激で
した。最近では国内でも見慣れない風景を
ここでみれるとは・・。対岸には火種のゴラ
ン高原が広がっています。
国同士の領土の問題は本当にややこしい・・・。
ティベリアの湖畔のレストランでイエスも食
べた聖ペテロの魚「セントピーターズフィッ
シュ」を食べます。淡水魚特有のさっぱりし
た味で匂いもなく美味しい。添乗員さんが用
意してくれた「おろしポン酢」をかける
と絶妙でした
★★

Ship of Yess イエス時代の舟

1986年ガリラヤ湖の水が枯れ水位が下がった時に偶然発見されました。
水位が再び戻るまでの時間との戦いでついに全体像がわかりボランティアが活躍し、
ファイバーグラスで古い船を覆い固めて運び上げ、再びグラスファイバーを外して
復元されました。イエスが宣教していた1世紀時代のものと判明し
「イエスの船」と言われています。
イーガル・アローン博物館 発掘・修復された舟 運搬中

Bet She'an ベトシャン遺跡

現在も発掘が続く五千年前の古代都市ベトシャン遺跡。焼けるように暑い33度です。半円形劇場やローマ風呂も良く残っています。1700年ころの地震によって自然破壊され倒壊しただけなので発掘が進めば世界遺産になるかも知れない素晴らしい遺跡です。
ビザンチン時代のパラディウス街道 半円形劇場 サウナ跡

  Akko 【世界遺産】アッコー

十字軍の地下都市がある世界。地中海に面した港と要塞。
マルタ島のバレッタに良く似た作りと思ったら、ここを追われた騎士団がマルタに移り建造したものでした。
頑丈な城壁はナポレオンにも攻撃されましたが城はイギリスの後ろ盾もあり陥落しませんでした。
城壁は堅固です。 門も強固 地下都市の太い柱

港と城壁 地下牢記念館13世紀の十字軍の建物
アッコ旧市街を散策、スークはマルコポーロ通り、なんでも揃うマーケット


Megiddo 世界遺産】メギッド

旧約時代の遺跡の丘。ソロモン王の死後イスラエル王国から分離したユダ王国の領地でした。
紀元以前からオリーブオイルの加工が行われていた。まだまだ発掘が盛んに行われています。
地下水路は高度な技術が使われ、高台でも十分な水路が確保され700トンの貯水槽があります。
山の向こうにはナザレが見渡せます。世界最終戦争地「ハルマゲドン」と言われています。
8世紀の穀物倉庫跡から多くの壺等が発掘されています。 地下水入り口

Caesarea カエザリア

ヘロデ王はソロモンに匹敵する壮麗な建築物を多く建設しており、テルアビブから50kmほど北上したところに位置するかつてローマの総督府が置かれた町カイザリヤには円形劇場を始めローマ風の遺跡が数多くあります。
 名前はシーザーの意味、海岸にそったローマ遺跡で、道水橋も海岸にそって残っています。
9kmにわたって引かれ、一本は飲料、もう一本は農業の灌漑用。直径17cmの陶器管で出来ています。
「ベンハー」の世界、この競技場で戦車が走りまくった・・・。 いつの時代か・・・。

CRUSADERSのレストランでサラダと美味しいパン、そしてイカリングのフライと海老がことさら美味しい、
デザートのスイカもGOODでした。イスラエルは魚介類と野菜が豊富です。★★
ユダヤ教徒の戒律「コシェル」によれば信者は海老・イカ・タコはご法度です。
 イスラエルの国内に多くのユウカリの木が植えられていますが、これはオーストラリアから持っ
てきてユダヤ人が植樹したもので、そこは彼らが開拓した証です。
18歳で兵役があり、男性は3年間、女性は2年間努めます。40歳まで予備役があり、新兵さんは
予備役兵が集まれる72時間耐えてくれれば良いという設定です。
女性の36%は兵役をいやがっています。結婚した女性は兵役を免れるので、18歳で結婚し20歳
で別れて兵役を免れる若者もいるそうです。
黒装束のユダヤ教徒は兵役がありません。頭に帽子をつけているのはユダヤ信者。
集団の農場キブツは時代の流れとともに衰退し始めているそうです。

Jerusalem エルサレム
オリーブ山よりエルサレム旧市街の全景を眺めます。中央の黄金ドームから旧市街の城壁や門などを見ることができます。左側には黒いドームの「アル・アクサー寺院(ムスリム)」、中央左奥にはゴルゴダの丘「聖墳墓教会」が見えます。エルサレム石でできた家々は真っ白に輝いています。


旧市街への城壁門
シオン門 糞門 美しいダマスカス門 門上に菊の御紋が

Bethlehem ベツレヘム
 
エルサレムから南約10㎞にあるアラブ人の町。彼らのほとんどはキリスト教徒です。
ユダの丘、海抜760メートルの地点にある肥沃な土地、別名「パンの家(ベト・ヘレム)」。キリスト生誕教会・聖カテリーナ教会・ミルクグロットがあります。ダビデは王になる前はここで羊飼いをしていたそうです

この街は高い塀で囲まれています。 揚げ物をしている。 メンジャー広場
街のいたるところで壁が見える。 聖ヒエロニムス像 ミルク・グロット
生誕教会近くにある聖カタリーナ教会堂の中庭に「ヒエロニムス像」が建てられています。聖ヒエロニムスはヘブライ語の旧約聖書をラテン語に洞窟内で訳し、それがのちの聖書の標準となります。

Wailing Wall 嘆きの壁
ローマ軍によって破壊されたユダヤ教の神殿を囲む西壁のひとつ。ユダヤ人にとって最も神聖なものとして崇拝されています。祈りの場は男女別に柵で仕切られており、男性は黒い服装に帽子を被り、聖書を片手に熱心に祈り続けています。壁近くに行くときは我々も帽子をかぶります。
男性側の側面のドームの中を行くと、2000年前の城壁の一部を見ることができます。およそ20mあり、幾多の重層な建造物が長い歴史の中で埋もれていったのでしょう。この国はアジアとヨーロッパとアフリカの交差点にあり、強力な国ができればおのずとその力に流されざるを得なかったのでしょう。
ユダヤ教:唯一絶対の神「ヤハウェ」をまつり、この世の終わりにダビデの子孫が救世主と
なって現れるとされています。
ユダヤ教の有名なものに安息日があり、労働はせず家庭で食事をとります。
食事も戒律があり、豚や鱗のない魚は食べてはいけません。

The Dome of  the Rock  黄金色のドームがひときわ目立つ岩のドームは、イスラム建築最古の建物です。神殿の丘の黄金に光り輝くドームは辺りの景色を変える力を持っているイスラム教の聖地
今やエルサレムの象徴的な存在で、イスラミックブルーの美しいタイルで飾られた独特の八面体が特徴的。中にはムハマンドが飛翔した時の足跡が残っているとか。

Tower of David ダビデの塔 Israel Museum イスラエル博物館
紀元前20年前ヘロデ王がエルサレムを防備する目的で建てた要塞。 最古の聖書の写しがある死海写本館、第二
神殿時代のエルサレムの模型があります
ユダヤ人もアラブ人も「ノアの方舟」から10代目に当たるアブラハムが父祖と言われています。
神から約束の地カナンを与えられ、紀元前1280年にはモーセが現れ、紀元前1020年にイスラエル最初のサウル王が即位、2代目がダビデその子ソロモン王が第一神殿を建てました。
その後アッシリア・バビロニア・ペルシャ・アレキサンダー・ローマと支配者は変わり、中世にはアラブが支配しました。ナチスの迫害やアラブとの中と戦争をえてここまで来た波乱万丈の国家は複雑極まりない。これからどこへ向かっていくのだろうか・・。興味はつきません
 

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