ウクライナ・(トルコ)モルドバ・ベラルーシの夏休み

ウクライナからモルドバへ

なにもお盆の混雑時に海外旅行でもないだろうと思っていたところ、ふと目にとまった未だ行った事のないウクライナの旅カタログ、休暇もこの季節なら取りやすいと、出発までの混雑が恐ろしいが、行くことにした。
予備知識としてはイタリア映画「ひまわり」と、もとソ連でチェルノブイリの原発事故くらいのこと、勉強して見る価値はありそうだ。
参加と同時にベラルーシのビザの習得が開始されます。国内に大使館がないので正確な写真を写真館で寸法を測り注文して旅行会社にとってもらいました。
いつもの駐車場に連絡したところフライトナンバーのVVがないので成田空港ですかと質問があった。どうやらチャーター便は記録にないらしい、後で解っ事たがウクライナの国営航空「アエロスヴィート航空」が就航して我々が最初の乗客らしい、成田空港に出発の2時間前に集合。
お盆の最中だからかなりの混雑を予想していたが普段と変わらないほど空いていて道路も空港もいつも通りでした。拍子抜けしたわけではないが嬉しい誤算でした。余談ですが帰国後テレビのニュースでは連日帰国ラッシュの様子を放映していましたが、あれはまったくの嘘で、到着ロビーもいつもどおりであったのです。

飛行機は間もなくウクライナに到着するところ、聞いたこともない飛行機会社であったので、どうかなと思っていましたが、乗務員はフレンドリーで笑顔もあって感心したところ。椅子足元も広く快適な空の旅というところ、椅子間の広いのはスラブ民族が大きいからかも知れない、それでも備品類はさすがにふるくさい。

豪華なカップを取ったらこれでした↑

ウクライナ・キエフで一泊して翌日モルドバへ行きます。
ホテルはコンパク、お湯はでる、夕食のメーンにはカップ付きで出てきましたが中身は鮭とおひょうらしき魚が少々、それでもウエルカムシャンパンを部屋に持ち込み、あとは疲れでぐっすり明日はモルドバに行きます。

ここからトラブル開始、早朝飛行場に来てカウンターに行くとオーバーブッキングでモルドバ行きの席が確保されていない。ウワー空港で足止めです。どうなることやら、まあ諦めるのが一番と腰を据えてしたすら待つだけかも知れない、こんな国には個人では来ない方が良いのかも、我々が先に予約しているのだから搭乗している客を降ろせとか交渉するが、らちは開かない。そうこうしているうちにイスタンブールまで取りあえず行き、モルドバ航空で今日中にモルドバに行けるらしいので行ってみる事に・・・無事行くことができそうだ。
さて日本を出てからまる2日がたつのに観光はひとつも行っていない。
ついでにこのイスタンブール空港で日本へのお土産を用意する。空港ではサラダとシシカバブがサービスで出ました。機内食にはナタツーユが入っていました。

ウクライナからトルコ経由でモルドバへ
成田からキエフへ直行便で
ここで一泊した「ジョリーアロンHotel」
ウクライナ・キエフ空港、ここまでは順調、
ところがキエフ行き飛行機がダブルブッキング
翌日何故かイスタンブール空港にいる
結局イスタンブール経由でモルドバへ行く
何故かトルコでシシカバブを食べている
こんな事があるんですネ



モルドバやっとモルドバのキシニョフに到着、レストラン「Salcioara」で夕食」です。
店名・読めません サラダは大変新鮮 トルコ料理に近い? 
茄子巻物の中に肉詰め パンの中に何かが 鶏と細いパスタ「プイクティツッイ」 



キショニフ
朝の散歩へ、町はやっと眠りから醒める。朝一時間早く起きたのでホテルの回りを散策、レーニン通りにある勝利の門や大聖堂へいってみました。ロシア人が多い町、人々は暗いし歩いていない。
おかげで凱旋門や国会議事堂前、大聖堂を独占する。レーニン像も立っています。
朝の通勤トロリーバス風景 凱旋門と大聖堂鐘楼には誰もいない

ティロン大聖堂世界遺産

2002年より女子修道院となっている正教会、青い屋根が特徴的、ソ連時代も閉鎖されなかった19世紀の教会。

世界遺産の入り口 奥の工事中の建物が世界遺産
大聖堂の内部 ミサをやっている。女性は髪の毛を隠します。

キシニョフ大聖堂比較的新しい、

 1963年帝政ロシア時代の建物、今の姿に改装されたの10年前。内部でミサが行われていた。
大聖堂と鐘楼 ここでもミサをやっています
作家プーシキンの胸像 市場が開かれていた。何もない・・・。
中央公園でパソコン。この国は美人が多い??
このエリアは無線ランが無料で使える。
大聖堂前で地元の学生達、韓国語を勉強中
で日本語も少し話す。「かわいい」とか・・。
後で写真を送ります。

クリコバワイナリー

 ヨーロッパの南東ルーマニアとウクライナの間にある、人口380万人の小国『モルドバ共和国』
ボルドー、ブルゴーニュと同緯度で葡萄栽培に最適の風土。
葡萄は7000年前から自生している。ワイン造りの歴史は5000年にも及び、ギリシャ、ローマの支配下でワイン造りがさかんとなりました。
モルドバワインはロシアのロマノフ王朝に愛されたワインとして有名で、19世紀にはパリ万国博覧会での赤ワイン部門の金賞受賞、仏国や英国王室へのワインの供給、その後も多くのワイン博覧会での各種メダルの受賞などによって高品質であることが証明されています。
もともと海にあったこの地域は石灰岩でできており、ブドウを作るには最適な土質と気候に恵まれている。入り口でガイドを待ちトロッコで切り出した洞窟の中へ入っていく。中は寒い、奥深い洞窟はワインで一杯、有名人のコレクションをここで預かっている。ワイン樽とボトルをそれこそ山のように積み上げ、整然と管理されていて、目を見張る…。ロシアのプーチンのコレクションもある。
ワイナリーの入り口
地下通路は120㎞あります。
こんな電車トロッコで蔵の中へ行く
樽が数万個 瓶の管理をコンピューターで
各スペースにはこんな感じで整列   そうとう古そう1902年のワインボトル


テイスティングは6本のワインが用意され、パンや美味しいおつまみが用意されていて、呑みすぎになりそうです。盛り上がる。ロシア大統領のプーチンのコレクションもありました。ガガーリンが宇宙に旅立つときここに寄りワインを飲んでからロケットに乗り込んだそうです。
モルドバには200を超えるワイナリーがあり、70カ国に輸出している。
大きさではここは2番目だが、人気は一番であるというクリコバワイナリー。
ワイナリーのガイド嬢登場。説明にはニコリともしない。ベラルーシにこのてが何人もいたねぇ。このワイナリーは国営と聞いて、ハハーンと納得。石切り場跡の120キロの坑道を利用したワイナリーだが、そのワインコレクションが素晴らしい!19世紀末と か20世紀初頭とか100年を越すワインもあった。

 

トレブジェニ村
オルヘユ・ベッキ(Orheiul Vechi)とリゾート・トレブジェニ村
オルヘユ・ベッキは4万年前の円形競技場の中、数十万年前からの人間の集落遺跡がこの場所にある洞窟の中に発見されました。紀元前5~3世紀に岩山の上にゲタイ・ダキア人の要塞が建っていました。ゲタイ人は当時、自分なりの暦を使っていたことも判明されました。

昼食は村のペンションにてモルドバの家庭料理を美味しく頂きました、トルコ風でありギリシャ風であった。欧州の中でも貧しい国の村、馬車が走り、井戸が今でも使われて牧歌的な空気があたりをおおっている。木の実を食べる子供がいたのでそれをもらって食べたがおいしいもであった。レストランでは、伝統的なタペストリーや自家製ワインも楽しめます。又民俗芸能の舞踏や音楽も楽しめ、お客がも“Hora din Strabuni”という「祖先の踊り」に一緒に加わることもでき、楽しいひと時が流れます。

レストランカーサの看板 レストランの女将さんと
料理の数々・とっても美味しい 地元の子供たちはとってもシャイ


オルヘイ洞窟修道院

谷を挟んでむこうがわに見える。そんな場所は駐車場から坂道をしばらく行くと鐘楼が見えてくる。
その先にも教会がみえてくる。どうやら目的はそれではないようだ。とちゅうには小屋があり、娘が教会のお土産を売っている

地下教会の鐘楼は外に出ている 奇跡の十字架
 教会の内部 鐘楼 
 それぞれが個室(11部屋)になっている この方が1人で修業をしている
教会は川の向こう側 教会の裏は崖っぷち

 プーシキンの家 『プーシキンの家博物館』 
館長が突然ピアノを引き謡だしたのには驚いたが、哀愁をそそる響きでした。ここではプーシキンは英雄なのです。
1820年から1823年の約4年間、時の政府を批判した為流刑としてここで暮していた。

プーシキンが住んでいた家 プーシキンの胸像
36年間館長アレクサンドラさんが
突然ピアノを演奏します。
彼が使っていた家具類 「ジプシー」や
「エヴェゲニー・オネーギン」を執筆した。

モルドバの伝統料理と名物のワインのレストラン「UKRAINSKA LASOUNKA」

店構えは立派です。 サラダは新鮮
ハム類のオンパレード placunta cu brinza?(香草とライス詰め)

 陸路ウクライナへ向かいます。ひまわりは終わってます。




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