13.メキシコ(69)おまけのカナダ(69)
  
 
マヤ遺跡とカリブ海の旅 2001年6月

1.メキシコ編
メキシコシティ

成田空港で定番のアルコールとタバコを買い込みマイレージの記録をインプットして、米国のロス経由で正味13時間半かけ、標高2,240m、面積1,499ku、2,000万人が住む過密都市メキシコシティに入りました。

ソカロ広場のカテドラル
1519年スペインのエルナン・コルテス軍がベラクルスから上陸して、アステカ帝国最後の皇帝クアウテモックを平伏させたのは1921年です。この街はアステカ帝国の時代には「テスココ湖」上に浮かぶ緑と水が豊かな都市でしたが、スペイン人は植民地時代に、この湖を埋めてしまい、その上に新都市を建設したのです。旧市街地の中心がソカロ広場であり、旧中央神殿の上にメトロポリタン・カテドラルを建てたのでした。




インディオの人とスナップ
湖を埋立てたため、市内のいたる所で地盤沈下が起き、このカテドラルも全体が左に傾き修復工事が開始されるそうです。
当時神殿や宮殿を壊し、その上にその石材でスペイン風の街を作り上げた為、地下に多くの遺跡が眠っています。1913年カテドラル裏手のビル工事中に、アステカ時代の遺跡が発見され、1450〜1500年頃ここが中央神殿の跡地である事がわかったそうです。
その土地の上で、もの悲しそうにインディオ達が踊っていました。それにしても日本人に似ています。


「おやきもどき」を焼くおばさん
先住民の神殿があったテベヤックの丘にグアダルーペ寺院は建てられている。この中に、バラを包んだマントに、褐色の肌を持つ聖母が浮かびあがったと言われている「グアダルーペ聖母の奇跡」があります。庶民に人気があり、人々でごった返していました。露天で売っているコーンの粉で焼いた「お焼きもどき」を食べたところ、案外と素朴で美味しいものでした。
お昼はさっそく「レストラン・グランテリオカ」でメキシコ料理バイキング、うちわサボテンサラダやアボガドソースを美味しく頂きました。


テオティワカンの遺跡

遺跡全景(月のピラミッドから死者の道、左奥が太陽のピラミッド)
紀元前2世紀ころの宗教都市国家、23Ku(平城京並み)に20万人が住んでいたといわれています。テオティワカン人はどこから来て何処へ行ってしまったのでしょうか・・・。8世紀頃忽然と姿を消してしまったのです。







ピラミッドの頂頭部は人でいっぱい
「太陽と月の神殿」遺跡がこれほど立派だとは知りませんでした。マヤ文明等の知識は多少ありましたが、太陽のピラミッドにしても、エジプトのそれと比較するのも変な話ですが決して劣るものではないと感じました。その大きさに、つい山好きな「ミーハー夫婦」はいそいそと山頂を目指してしまうのでした。

太陽のピラミッド
この「太陽のピラミッド(一辺225m高さ65m)」なるものは世界で3番目に大きいという・・・、しかも最上階に登ることが出来るのです。そしてその上からの景色が良いのです。まわりに大きな山もなく、月のピラミッドへの眺めもなかなか良いものでした。大きなスケールと位置取りがすばらしく、バランスの取れたものでした。そしてそれら大きな遺跡を結ぶ「死者の道」なる物も整備され一直線のそれは芸術でもありました。



月のピラミッドの急階段
「死者の道」の突き当たりにあり、高さ46m、底辺150m×120mで、紀元前350年頃の建築と言われています。建物は「太陽のピラミッド」より低いが、隆起した土地にあるので、高さは余り変わらないそうです。太陽のピラミッドはおよそ5分程で登れ、月のピラミッドには3分程で登れました。月の方が急登であり、途中にロープが下がっていましたが、多くの人が登頂を断念していました。もちろん我々ミハー夫婦は上まで行きました。







太陽の石
国立人類博物館にある太陽の石、暦とも言われています。直径3.6mアステカ人の存在を明かす宇宙観がこの中に見出され、1970年に数百年前大司教に埋められてしまったものが発見されたものです。






タコスとポーク
その日のホテルは市中「ホテル・クリスタル」夕食も大変美味しい物でした。ポークと野菜の付け合せでしたが、付いてきた「アドガボ」と「黒豆」のソースに特徴があり美味しく頂きました。





メリダ

市場でMASECA(トウモロコシの粉)をゲッ
メキシコシティからメリダにフライトしました。飛行場からウシュマルに向かう途中ノウマン町の朝市に出くわしたので、MIはさっそく市場外でどこかのおじさんから胡椒をわからないスペイン語で値切ってゲット、市場内ではトルティーヤの原料トウモロコシの粉を買い込んでいました。




マヤのおばさんはトルティーヤを焼く
そしてマヤ族のマリヤ一家を訪問、庭先には大きな七面鳥がのし歩いていました。椰子の葉で作った屋根のある母屋は案外涼しく、中では鉄板の上でトルティーヤを焼いていましたが暑くはなかったのです。このトルティーヤに自家製の味噌もどきを包んだものが結構いけました。MIはきっと帰国したらこれを作ることでしょう。
途中龍舌蘭でテキーラを作る現場を見てウシュマルに向いました。


ウシュマルの遺跡



魔法使いのピラミッド
マヤ文明の代表、6〜12世紀頃発展していました。卵型の魔法使いのピラミッドの姿の美しいこと、見事なバランスの立ち姿には思わず立ち止まってしまう何かが感じられました。小人が一夜で作りあげた伝説からこの名前が付いていますが、実際には300年かかったと言われています。チャック(雨神)像に飾られた、頂頭部までの118段の階段は今は登れません。雨水のため中が一部空洞化されて危険なのだそうだ。残念でした。



球技場のゴール
この国の人もサッカーが大好きなようです。それもそのはず1500年以上まえから球技が大切な儀式の一つでしたから、いまでもそれぞれの遺跡には球技場があったり、モチーフが多く残っています。






その他、屋根上部に格子窓が残る鳩の家。総督の館の凛々しいこと、その庭にある王の椅子には思わず座ってみたいほどです。球戯場からのピミッド。広大な四つの矩形で構成された尼僧院等はまさに世界遺産です。

     鳩の家          総督の館&王の椅子     球戯場            尼僧院


カバーの遺跡

カバーの凱旋門
その後カバーの遺跡を訪問。これが意外とすばらしい、360の雨神のチャックで顔を覆われた仮面の神殿やウシュマルまで続く「白い道」(18km)の出発地点に立派な擬似アーチの「凱旋門」が存在していたのです。あたりは遺跡が山のように広がり、何処から手をつけて良いのかわからないほどの物でした。発掘が進んだらテオティワカン以上かもしれません。





メリダ

トルティーヤを釜で焼いている。
途中レストラン「ロスアルメンドロス」に寄ったら、厨房でトルティーヤを釜で焼いていました。団子状にしたトウモロコシの粉を、お盆を2枚重ねたような鋳鉄の道具でそれを挟み、せんべい状に型ち作るのですが、どうやらMIはそれが欲しいらしく、後日カンクンのオールドタウンを探し回るのでした。






メリダの街角で
メリダのホテル「コンキスタドール」近くのレストランのテラスで、MIは現地の「名古屋ウイロウもどきケーキ」を食べながら、バイオリンを下僕に弾かせるのでした。心豊かなひと時が流れました。ボーイさんに「何処からきた?」聞かれたので、「ジャポンから来た」と返事をすると・・・一本指を立てからそれを倒しました・・・サッカーのフェデレーションカップでフランスに負けたのが残念と言う意味でした。


チェチェンイッツア

エル・カスティージョ(城壁の神殿)
ホテルを後にし、ユネスコ世界文化遺産のマヤ遺跡チェチェンイッツア(泉のほとり)へいきました。6世紀頃の古典期と10世紀頃の後古典期のエリヤに分かれています。一度衰退した部族が再び勃興してきたのです。
エル・カスティージョは9世紀に完成したピラミッド、高さ25m、9層の基壇を持ち、春分と秋分には、その基壇の影が階段の滑り台に蛇の胴体模様を写し出します。

その他、戦士の神殿、エジプトのルクソール神殿を思い起こすような列柱群、不思議な天文台と球戯場、そして心臓を生贄とした台(チャックモール)等13世紀にマヤパン族に滅亡させられるまでの長い歴史が横たわっていました。それに、もうあたりはイグアナだらけ、爬虫類マニアが見たらよだれをたらすかも知れないほど様々な形態を見せてくれていました。雨季なのに暑い暑い38度もありました。これは朝鮮半島の真中の緯度です(シャレです)。MI曰く、インドの暑さはこんなものではない46度あったそうです。



   戦士の神殿            列柱           天文台          生贄の台

昼食後は「イキルの泉」へ、この地下にある泉が実に幻想的、この世の物ではない美しさでした。水着は持って行くべきだったな・・・。泳げるのだ・・・。


さてさて
カンクンです

これがカリブ海
そしていよいよターコイズブルーのカリブ海カンクンに到着です。
カリブとラグーン(真水と海水)に挟まれた、20kmにわたる細長い州に瀟洒なリゾートホテルが並び、一大観光リゾート地になっています。もうそこはアメリカという感じで、浜辺は細かく砕かれた、さんご礁で出来ているので、真っ白な砂で暑くなりません。この世の何でも有りのパラダイスです。
宿泊したホテルシェラトンの部屋はオーシャンビューで本当に気持ちが良いですネ。インフォメーションで翌日のディナークルーズ「コロンブス」を予約して、夜のカンクンへ繰り出しました。

ホテル街とオールドタウンの間は24時間、バスが行ったり来たりしますので、大変便利でした。一回50ペセタ(約65円)でした。また、交通マナーも良く、横断歩道に立ち止まると車は大抵止まってくれます。


Av.XCARETのレストラン
昼間はオールドタウンまで足を伸ばしてあのタコスメーカー探しです。スーパーに入ったらすぐにありました。ところがMIが持ったらこれが重い5kg、片手で持てないのであきらめました。その替わり辛子ソース3種(これが抜群に辛いから減らない)、バニラエッセンス、なんとかのタレ、お土産のチョコレート等をゲットしたのでした。カンクンのコンビニではついに「バニラのスティック」を発見、安い安いとご機嫌に買い込んでいました。町場のレストラン「LA BAMBA JAROCHA」で地元の人が食べていた海鮮スープと芝海老のメキシカンを注文したら、これがバカウマ
★★★★★でした。

ロブスター・ディナークルーズ
夜はお楽しみのロブスター・ディナークルーズ、船名は「コロンブス」です。なんと20組のカップルのうち16組がハネムーンでした。残りのカップルでは我々が最古カップルかも。アメリカ、カナダ、イギリス、メキシコ、日本人達が乗っていました。同席したアメリカテネシーからのカップルは50歳台で新婚4日目のアツアツ、それぞれ2人づつの子持ちだとか・・・それはそれで良いじゃんか・・・って感じです。不思議なことに、このあたりにはドイツ人やフランス人がいませんでした・・。
デッキにテーブルを組み込み、特大のロブスターとステーキを海上のサンセットを見ながらかぶりつくのは「ああ生きているんだ」と大実感しました。

奥様はタイタニックモードです
楽しいひと時です。またノリノリの司会者が面白く「2002年ワールドカップ」には日本に行くんだとおおはしゃぎでした。
一人$65はお得でした。




これが石のソース入れ
翌日はレストランで見つけた石で出来たソース入れを探しに再びセントロへ出発です。三本足で立つ石臼のようなものですが。なかなか見つからず、スーパーの店員さんに聞き、訪ね歩くこと1時間後、ついに闘牛場近くの市場で発見しました。しかし大きすぎて重い、またもやギブアップです。残念でした。替わりに現地人が使っている小坪をゲットしました。


再度メキシコシティへ舞い戻り帰国の準備です。
マリアッチ広場でのマリアッチのメンバーさん達です。







メキシコで見かけたお花達



2.おまけのカナダ編

バンクーバー

バンクーバーのホテル「エグゼクティブ」
途中バンクーバーに立ち寄りましたがここでアクシデント発生。飛行機がエンジントラブルで出発できません。待つこと4時間経過して、ついにここでもう一泊と決まり、我々は大喜びです。「エグゼクティブのホテル」を用意してくれましたが、急なことだったので、部屋は最高級の2部屋続き、バスルームも2つあり、キッチンもついていたのです。思わぬカナダ旅行が追加されたって言うことです。ちなみにJALからは「10分間の国際電話代」と「朝食8$、昼食10$、夕食20$のミールクーポン」が出ました。食べきれないので飛行場でアップルパイを大量に買い込み日本で食べました。以前オランダでも同じような事がありましたが、再びお得?な出来事に遭遇し、楽しい旅を終えたのでした。しかし飛行中のエンジントラブルでなくて良かったですネ・・。
 それでは アディオス アミ−ゴ!!

JUN2000更新

   

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