美しきヒマラヤ・ネパール感動の旅 OCT/2011
 

エベレストを飛行機の上から眺めるツアー、少し前に同型飛行機が墜落して十数名の方が亡くなったニュースが飛び込んできました。霧が立ち込めた中、着陸に失敗したようです。-合掌-

その数日後今度はバスが崖から転落してやはり数十名の方が亡くなりました。-合掌-

それでもエベレストを見たい衝動は抑えきれず行くことにしました。この時期は雨季も終わり晴れ間が多くそれほど寒くもなく、絶好の気候で東京より暖かいそうです。

無事帰国してからまた飛行機が落ちました。どうなっているんでしょう。−合掌-

どんな服装で行けば良いのか分かりません。とりあえず山歩きができる格好で、荷物も少なめにと思いますが、どうでしょうか。ネットで調べると、どうやら東京より気温は高いようです。半袖でよさそうな、暑ければ上着をぬぐ感じで行こうか。いつものパーキングに車を入れて出発です。
直行便ではなく、中国広州経由一泊してからカトマンドゥへ行きます。

中国南方航空広州経由で中国広州

初めての広州空港、どうやらグループの一人の荷物がなかなか出てこない状態ですが、しばらくして出てきました。何年ぶりかの中国、変わりましたよ市民も行儀が良くてびっくりしました。南方航空なので当然中国人が多いのに整然としているのです。空港もりっぱですばらしいし建物も洒落ている。日本の負けですな・・・。20:00 広州着後、ホテルへ。
ホテルで朝食を食べてから近くを散歩します。すでに朝の通勤ラッシュが始まっています。人々の着ているものもカラフルでひと昔前の中国イメージとは違うものがあります。橋の歩道からはビル郡が林立した大都会を見ることが出来ます。近くの公園ではダンスに興じている奥さん方がいました。

沙面&陳氏書院の観光
高層がビル立ち並びます。 散策用歩道が整備されています。
海鮮料理の店が賑わっています。 川べりで歌う会?
中国最大規模の漢方薬材の卸売市場
「清平中薬材専業市場」にぎやか
「翠源酒家」で昼食
お茶用鉄瓶が粋・茄子の炒め物器がgood!
屋根の造作にはあきれる程の
細工がなされています。
陳一家がつくった学問のための施設です
見事な細工を施された門
 
 これが想像以上に素晴らしく中国の奥の深さに圧倒されるのでした。
広大な敷地に広がる別世界な空間、学問に対する執念が見え隠れしています。
尚、近くで売っている甘い焼き栗は見た目は良いのですが不味かった。
何日も焼いて売れ残ったものでしょう。色は良いのですが・・・。
横浜の中華街のものとはちょっとちがうものでした。 



沙面散策
1840年代英国から中国への強引なアヘン輸出願望から2度のアヘン戦争がおき、結果香港の割譲と広州の一部を英国の租界地として取られました。
そして英国は中国に対して大きな権益を得ました。その沙面エリアを見学、広い道は整備されていて、大きなガジュマルの木が繁っています。
洋館が並びその景色をバックに結婚記念写真を若者達がドレスアップして撮っています。人気のある写真館は3ヶ月先まで予約が入っているそうです。それらの洋館は今では郵便局や学校に変身してこのエリア全体が公園となっていて市民の憩いの場所となっています。
合唱やフット・バトミントンのようなことをやっていました。
 道しるべが綺麗に整備されています。  緑が多く落ち着いた公園です。

 

西漢南越王博物館
ここは博物館であって、紀元前の遺跡です。最近の土地開発でマンションを立てようと地面を掘ったところ、昔からあるこの小山を崩して見たら、紀元前のものと思われる墓が発見されました。調べた結果秦の始皇帝時代の将軍の墓であり、中は盗掘されずに残った現状を保った貴重なものでした。
この施設の一部に磁器の製作場があり、作成していた郭氏の作品を買いました。超薄手の小鉢で透けて見えるほどの華奢のものですが色合いと持った感触がなんとも言えないすばらしいものです。


広東料理
食は広州からと言われているように海の幸・山に幸
ありで美味しいものの山盛りとか、川が近いので上
海蟹が多く使われていました。
訪れたレストランの入り口にも大き
な「生け簀」に魚や蟹が生かされています。
薄味の美味しいものでした。
ヤムチャはここが発祥の地といわれています。
さまざまな食材と調理方法がテ
ーブルの上を満載にして行きます
食後いよいよカトマンズへ飛行機で行きます
 経由した広州空港綺麗で広い、
中国の勢いが感じられます。 

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