14.マルタ共和国(71)&ローマ
  
 
地中海に浮かぶマルタ島とローマの旅 2001年11月

なぜ今マルタなのか?。2002年1月1日から、いよいよ統一された貨幣としてユーロが欧州の市場に出て、新しい歴史が開かれます。実は、この国は1500年代にヨーロッパの諸国イタリヤ・イギリス・フランス・スペイン・ポルトガル・ドイツ等から集まった人々によって作られたのです。つまり、ここにEU統合の原点が見られるのです。


1.マルタ共和国編

中国の天山山脈北路からタジキスタン方面の旅行を計画していたら、9月11日に米国で同時多発テロが発生、訪問予定の国々が危険度2以上となり、行けなくなってしまいました。ヨルダンやチェニジアもNGとなり、オサマラディンも知らないところ、そうです地中海のマルタ島なら安全だろうと行くことにしました。シチリアの南93kmに浮かぶ淡路島の2/3の大きさの共和国。またここはブッシュ米国大統領とソ連のゴルバジョフ大統領が船上で冷戦の終結を宣言した「マルタ会議」が開かれたところです。しかし、色々調べてみるとこの島は過去に十字軍の基地になり、オスマントルコ(イスラム系)と戦争をした場所であり、タリバン軍も恨みがあるのか・・・。なんて思ってみてもしょうがない、ノウテンキに出発しました。
  成田の「海外ツーリスト駐車場」から誕生日ご来店プレゼントのお知らせが来ていたので、そこに車を預け「入浴剤」を頂きました。空港でアリタリヤ航空のマイレージをプラスし、taxfreeでタバコとアルコールを買い込み12時間後にミラノへ到着しました。
ここでEU圏に入国ですが、なんと売店で世界の三大珍味のひとつ「トリフ」を発見したのでゲット。バカだね。トランジットしてローマで一泊、翌日に1時間30分のフライトでマルタ共和国にやっと到着、やっぱり遠いわここは。ローマは寒かったけれど、さすがマルタは地中海気候で暖かい。
トリフのびん詰



バレッタ

シティゲート
さっそく島中心部のシティゲートから徒歩でヴァレッタ内へ。ヴァレッタはマルタ共和国の首都。1565年オスマントルコ軍の攻略で砦が「大包囲戦」で囲まれましたが勝利しました。その後聖ヨハネ騎士団長ジャン・ヴァレッタが島中にあるマルタストーン(蜂蜜色の石灰岩)で築いた城塞、難攻不落の都市です。
欧州の中世がそのまま残っているクラッシクな町並み、城壁に囲まれた町は十字軍の砦。まもなくクリスマスなので町の至る所で電飾かざりつけの準備をしていました。夕方にはライトアップがあるだろうと待っていましたが、ぜんぜんです。聞いたところ、クリスマス直前からスイッチオンだそうです。残念でした。
尚、車で行くにはバスターミナルの右サイドからUpper Barracca Gardensへ上れば、公園の左側に駐車場があります。留守番おじさんに1$あげればOKです。

島の巡回バス
島内はこんな公共バスが網の目の様な路線を形成しています。すべてヴァレッタのバスターミナルからの発着でわかりやすいですが、時間がめちゃくちゃで、何時くるかわからないとの事。でも形はレトロで「映画トトロの猫バス」そっくりです。





シーラのソティ
まずは腹ごしらえ、聖ヨハネ聖堂脇のレストラン「RUSIALO」で地元名物シーラのソティ、味は大味でまあまあ、付け添えはジャガイモとミックス野菜、ビネガーをかけるとまあまあでした。水のない国、ミネラルwaterとグラスワインが同じ値段でした。



聖ヨハネの教会堂
マルタ騎士団の守護聖人ヨハネに捧げられた教会。外観は質素ですが、さすが列強の国からきた富豪の次男三男たちの教会だけに、内部は荘厳で重厚な造りです。そしてイギリス・ドイツ・スペイン・フランス・イタリヤ等の国々に別れて礼拝堂を持ち、それぞれに特徴があります。床一面には400程の華麗な模様の大理石で出来た墓碑が敷きつめられ、ヨーロッパの名家出のナイトが眠っているのです。1573年から1577年に建てられました。と、ガイドはマルチーズ(マルタ人)のマリアさんが熱心に説明を続けてくれました。因みに、犬のマルチーズはここから出たそうです。


アッパ-バラッカ・ガーデンからの景色
ヴァレッタの東端に19世紀までイタリヤ騎士団の休息場所であった公園があり、それは保塁付けの上部に突き出た地形になっています。そこから湾を挟んでスリーシティ方面のすばらしい景色を堪能できます。

パレス広場の右手に騎士団長の館があり中に当時の武器や鎧が陳列されていて当時の騎士たちの戦いぶりが偲ばれます。胸に大きな穴の空いた物もあり、その騎士はそれで無くなったのでしょう。死んだ騎士の鎧は別な騎士がその後使ったそうです。

この日からホテルはセントジュリアンにある
★★★★★RADISSON SAS BAY POINT HOTELオーシャンビューでご機嫌です。


ゴーゾ島

翌日は朝から雨模様、やっぱり雨期かとあきらめて出発しましたが、マルタ北部のテェルケアウ港からフェリーでゴーゾ島へ行く途中虹が出たりして雨も上がっていい天気模様になりました。


ジュガンティーヤ神殿(世界遺産)
巨石神殿:BC3000年に建設が始まり、高さ8mの石積みの壁で囲まれ、数トン以上の石も多く使われています。内部はいくつかの部屋に分かれ、おのおの意味を持っています。最近の説ではこの神殿はBC5000年頃の建物で、かのエジプトの建造物より遥かに古いといわれています。−どうやら本当らしい−
 その後、オデッセイの伝説が残るカプリソの洞窟へ行きましたが、単なる洞穴でした。中は真っ暗、行くなら懐中電灯が必要です。



大城塞チッタデル
小高い丘にある城砦の町チッタデル、紀元前5世紀には人が住んでいたといわれ、その後フェニキア人、ギリシャ人、ローマ人達が支配しましたが、1551年海賊の襲来で町は全滅、これを機に騎士団はより強固な城壁を作り上げました。その後1693年の大地震で崩壊しましたが再建されました。





ザ・カセドラル
城壁のゲートを抜けるとバロック式の堂々たる聖堂があります。建築当初は大きなドームを作る予定でしたが資金が不足したので、イタリヤのアントニオ・ヌマエルによって天井に「だまし絵」を書き、あたかもそこに大きなドームが存在するような錯覚を与えています。また教会の前には2つの大砲があり、当時の教会の勢力が計り知れます。


車海老のワイン蒸し焼き
ゴーゾ島のレストラン「PALAZZO MARGHERITA」では車海老のワイン蒸し焼き、しっかりした味で、ジャガイモト&トマト添えもフレッシュでした。
独立広場の市場でMIは「塩漬けケッパー」をゲット、日本ではなかなか手に入らない貴重品だそうですが・・・。
その後、フォンターでは共同洗濯場(何でこんなものを見るの?)を見学、夕食はスリーマーのレストラン「POLTE VECCHIO」でポーク料理、牛肉はここでもだめみたいでした。


マルタ中心部

ハガール・キム神殿
紀元前2800〜2400に建てられた神殿。1910年に全体像がわかりました。巨石を縦横に積み上げ、左右対称の入り口は建築技術の高さを物語っています。床一面に巨石がはめ込まれ美しく、ここで発見された「眠れる女神」像の神秘的な造形は目を見張ります。



ブルーグロット
陸続きの高い岩礁が長い年月で削り取られ美しい景観を作り出しています。この程度は日本の至る所に見られそうですが、5〜6人乗りの遊覧船での洞窟巡りで、海に入ってみると、ここのは海の色が違います。ブルーとエメラルドに輝いているのです。岩の色や海底の色との関係でしょうが、海水に漬けた手がブルーに輝くのだから不思議です。これは晴れた午前中だけ見れる現象。昼食は蛸料理です。


アズール・ウインドー
青い海と自然のアーチ、数千年の風と波の浸食により作られた、高さ20m、幅100m、奥行き40mの天然アーチ。向こう側がはっきり見えます。近くには海の洞窟から海水が流れ込み内海湾を形成しているインランド・シーがありました。
 近くのサンアントン公園に咲いてた花名前は「TECOMA SMITHIL」と書いてありました。そこの近くには大統領官邸があり、偶然にも大統領が車で出掛けるところに遭遇しました。


モスタドーム
第二次大戦でドイツの爆弾が投下されましたが、中には3000人の信者がいましたが、それが不発弾だった為、奇跡的に破壊を免れたし、住民も無傷だったそうです・・・。
近くにお菓子屋があり、地元の人が集っていたので、覗いてみると、「アーモンド入り棒飴」と「
ハニーリング」(大きなリング状に黒い中身がのぞく糖蜜、ココア、果物のピール入りのビスケット)を売っていました。MIはさっそく買って食べいます。香ばしく美味しいビスケットでした。


今夜は少々レストランの食事にも飽きてきたので、セントジュリアンのブッフェでパイ包み・コロッケ・チョコレートケーキを買い込み、昨夜の残りのワインとでホテルの部屋でパーティです。下の写真は美味しそうですが、本当に美味しいのです。ボエノ!
    
TIMPANAマカロニのパイ包   ARANCINIライスボールコロッケ  アニス入りチョコケーキ


Rentacarで島中ドライブ

今日は車で気楽なドライブとしました。



Opel Corsa 5Dr
朝9時に、フロントから電話があり、前夜に頼んでおいたレンタカーがホテルに到着していますとのこと、時間どおりにビックリ、ロビーに行くと韓国産?の「オペルもどき」がありました。小さい島で一日のドライブですから十分でしょう。費用は全ての保険を入れて5500円程度でした。ボディーのキズを確認してから出発です。旧英国領ですから車は左側通行で安心です。



イムディーナの路地
島の中心にあるイムディーナへいきました。手前のラバトの町の大半は地下が墓場カタコンベとなっています。ローマ帝国時代にキリスト教徒は迫害されましたので教徒は地下に葬られたのです。Medina Gate前に駐車場があり、料金徴収おじさんが出てきます。値段を聞くといくらでもいいとのこと、そんなのここではありで、領収書もくれます。そこから堀を渡りゲートをくぐると別世界イムディーナがあります。ここには当時の伯爵クラスの人が多く住む貴族の館が多くあり、城塞に囲まれた狭い砦でした。



歴史の勉強室:
紀元前8000〜5000年に巨石神殿文化があり、紀元前1000年には古代フェニキア人が住んでいました。その後ローマ人が入り町を整備しましたが、870年にアラブ人に占拠されイムディーナ(城壁の町)と称されました。1090〜1194年まではノルマン人が支配していました。
  一方、1113年聖ヨハネ騎士団が、キリスト教徒の巡礼保護と異教徒との戦いを目的にパレスチナに創設されたのです。しかし、1219年騎士団はアッコンの砦をイスラム教徒に占領され、さまよった挙句にたどり着いたロードス島を1522年オスマントルコ軍に追われてしまいます。再び各地を転々とした後、神聖ローマ帝国皇帝カール5世からこの島を「鷹一羽」で貰い受けました。1530〜1532年に聖ヨハネ騎士団が町を整備しこの町を首都としました。1565年の再びトルコ軍の攻撃「大包囲戦」がありましたが勝ち残り、騎士団長のフランス人ヴァレッタはここに城塞都市の基礎を築きました。
  しかし、1798年ナポレオンのフランス軍が入り込み268年間続いた騎士団の支配も幕切れとなりました。そして、2年後の1800年ネルトン総督率いるイギリス軍がフランス軍を一掃し160年間の統治が始まります。1964年に独立、1974年に共和国憲法を発布しマルタ共和国が誕生しました。


カフェテリヤ「ファンタナレーラ」
ここにすばらしいカフェテリアがあります。恋人たちの店と呼ばれ、チーズケーキは絶品でコーヒーをすすりながら広大な景色を眺めればもう最高の気分、旅満喫というところでしょうか。
マルタに行ったら是非立ち寄りたい場所です。
カフェテリヤの★★★★★です。







カートラッツCART RUTS
ラバトの南5KmのClapham Junctionを左折し、少し登ると石灰岩の大地が見えてきます。バス&徒歩ではかなり時間がかかると思います。そこには私設案内人がいますが丁重にお断りして、自分で捜します。あちらこちら捜していますと、ありました。轍間1.4mほど、幅・深さ20cmの轍がありました。数キロにわたり海に向かっています。巨石神殿に石を運ぶために出来たと言われていますが、この時代はまだ車輪は発明されていないのです。シチリヤや北アフリカに同様のものが見られますがまったくの謎だそうです。何なのでしょうか??



クラフトセンター

この国は土産物売店が少ないのですが、MIがついに執念で見つけました。まだ「地球の歩き方」にも載っていませんでした。メディーナの北東2kmに「Ta Qali Craft Cehtre」がありました。大きな駐車場もありますし、民芸品や陶器、フィリグリー、ガラス細工等製造過程も見れる場所でした。お薦め場所です。
アンソニーで「マルタクロス」を意匠としたフィリグリーの買い物です。


マルサシュロック

島最大のマルタらしい港町、入り江には原色の小さな魚船が並び、護岸には市場が開かれ、特産品の蜂蜜やヌガー等雑多なものが並び、道路際には多くのシーフードレストランが軒を並べています。


  マルサシュロック港の市場で「レースのテーブルクロス」と「グラタン皿」をGET


ロブスターとミックス魚料理
今回のテーマの一つである、漁港マルサシュロックで海鮮料理を食べる事が実現しました。私の誕生日でもあり注文したロブスターテルミドールの大きくて美味しいこと、また行ったら絶対食べますね・・。レストラン
「PISCES」のオーナー夫妻とメイクフォトしました。
日本語の紹介文をプレゼントしたら大喜びでした。


冷戦終了のモニュメント
マルサシュロックのとなり町Pretty Bayの海岸を走ると、見過ごしてしまいそうな場所に、1989年12月23日この海上でブッシュ米国大統領とゴルバジョフソ連大統領が冷戦の終結を宣言した「マルタ会議」の場所としての記念碑が建っています。
JEORGE BUSH MIKHAIL GORBACHEV 23 DEC 1989
TMIEM IL-GWERRA BIERDA
END OF THE COLD WAR と記されていました。




もう一つ大事なモニュメントがあります。それはカルカーラの町にありますが、大変わかりにくい場所にありますので、道々聞きながら行った方が賢明です。
大日本帝國第二特務艦隊戦死者の墓
Sacred to the memory of the officers and men belonging to his imperial japanese majesty's 2nd detached squadron who gloriously fell in the mediterranean during the great war 1914-1918
第一次世界大戦の最中、日英同盟の関係に於いて、大日本帝國海軍巡洋艦「榊」はマルタに派遣されました。しかし敵の魚雷攻撃で損傷、同胞59名が戦死しました。1921年(大正10年)昭和天皇が皇太子時代にこの島に墓参しているそうです。その慰霊の為、ここカルカーラの英国軍人墓地(Military Semetery)に大正12年に墓碑が建てられました。その後第二次世界大戦でドイツ軍に破壊されましたが、昭和48年に再建されました。

マルタ共和国には色々な顔がありました。本当に面白い国です。「歴史の揺りかご」とか「地中海のヘソ」とか
言われていますが、夏には北欧から大勢の観光客が押し寄せるリゾート地でもあるのです。今回はシーズンオフでもあり、ゆったりした大変楽しい旅ができました。

ローマ編

ローマ冬の名物「焼き栗」
帰り途中、ローマで一泊、飛行場で荷物がなかなか出て来ません。時間がないよー。それでも、車中から懐かしいカラカラ浴場、フォロロマーノ、コロセウムと見ることが出来ました。また、マッシーの姉がここローマに在住していますが、例のテロ事件直後は、地下鉄やマックがガラガラ空いているとの話でしたが、ローマッ子はすでに明るくにぎやかでした。スペイン広場は工事中でした。調理道具屋「NAKA」で「Cappuccino Creamer」ミルクシェイカーをゲットし、ローマ冬の名物「焼き栗」をほうばりながら、大急ぎでトレビの泉へ行って後ろ向きでコインを投げ込み、また来まーす。
ミラノ経由で帰国、なんでもアリタリヤでした。