ウクライナ 
キシニョフからバスで国境を越えてウクライナのオデッセへ向かいます。
モルドバの出国は楽でしたがウクライナは入国に結構時間をさきました。地元民のバスは乗客の荷物を麻薬犬が鍵回っていました。 国境から1時間あまりでオデッセにつき、有名な階段近くのレストランで食事。
ウクライナは
1.面積60万3,700平方キロメートル(日本の約1.6倍)
2.人口4,587万人(2010年 世銀)
3.首都キエフ
4.民族ウクライナ人(77.8%)、ロシア人(17.3%)、ベラルーシ人(0.6%)、モルドバ人、クリミア・タタール等(2001年国勢調査)
5.言語ウクライナ語(国語)、その他ロシア語等6.宗教ウクライナ正教及びウクライナ・カトリック教。その他、イスラム教、ユダヤ教等。

オデッセ
2度泊まったホテル 街中のビル群
なんとか教会バス内から 教会の中に持ち込んでいるもの
 公園でのカフェテラス  真っ白な観光馬車
大勢の観光客でにぎわっている。まさに観光都市だ。若い人々が行き交い、
結婚式も行われ、若いカップルや友人たちは浮かれている。オペラハウスの前で記念写真を撮り
、リムジンでパーティ会場へ乗り込むようだ。


しゃれた前菜 パンが豊富に揃っている サーモンの丸めたもの
にしんが新鮮です 階段前の客席 デザートムースケーキ


戦艦ポチョムキンの階段
映画『戦艦ポチョムキン』は、ロシア革命20周年記念」として1925年製作・公開されたソ連のサイレント映画。1905年に起きた戦艦ポチョムキンの反乱を元に製作されている。史実とは大きく異なる部分も多いが、この映画で最も印象的とされるのは「オデッサの階段」と言われる約6分間の場面で、撃たれた母親の手を離れた乳母車が階段を落ちていくシーンは迫力があり、アメリカ映画「アンタッチャブル」でも引用されている。尚、この階段での虐殺事件」というものは存在しない。
階段の先には黒海が見える 映画「戦艦ポチョムキン」の階段下から
エカテリーナ2世の像彼女がこの町の創設者
在位1762-1796ドイツ出身です。
 オペラハウスで結婚式
1884-87年に建設1507人収容
 おどけるのは新婦の父親ではなく新郎です  結婚式の後リムジンでパーティ会場へ


パルチザン栄光博物館
ここはパルチザンの地下組織で使われた戦争時の隠れ家だ。敵対するドイツとの攻防に使われた。この地下通路は2000kmにもおよぶそうだ。石灰質岩をくりぬいて、家や倉庫など作り上げた跡地である。天井陥没など見えるが特に対策は練られていないとのこと、お国柄か。第二次世界大戦の間パルチザンは1941年10月から約9カ月間90人の兵士がここで過ごした。

 
入り口のモニュメント 地下の武器庫  キッチン
 
本部には無線機も 倉庫  花束が添えてあります

今回の食事で最も美味しかったレストラン「PERRAK」

 
レストラン「PERRAK」★★★ イクラ付きサラダは上品な味  牛肉の中身は↓
 
デザートケーキ オデッセからキエフへ飛びます  チェリーがマッチング

飛行機が1時間遅れ大忙しの見学となった。
ボルシチはテーブルビート(火焔葉)をもとにしたウクライナの伝統料理、爽やかな紅色が特徴的で食欲をそそります。主に東欧諸国で食べられています。

店の構え「SHINOK」 サラダ ウクライナ名物ボルシチ
コロッケ? 餃子? 店の明るい従業員と

首都キエフ      

ウスペンスキー大聖堂
聖三位一体教会をくぐる 同教会の壁 みごとな大鐘楼

96mの大鐘楼 卵を集めたオブジェ
トラペズナ教会 ウスペンスキー大聖堂のファサード
かってソ連の宗教弾圧で全壊した瓦礫を集め1998年再建されたもの
11世紀のウスンペキー教会はこんなにも美しい
一番古い教会の遺構が展示されている 当時の鐘楼が残って居る
聖ソフィア大聖堂1037年建造キエフ最古の教会で
世界遺産。ヤロスラフにより18世紀に再建された。

『聖ミハイルの黄金のドーム修道院』
 独立広場その後騒乱が発生 中心街 

  ベラルーシ モルドバ