ブルガリアの「薔薇」とルーマニアの「国民の館」を見たくて梅雨の日本を離れて、チョットバカンスと洒落こむ。
ブルガリアとはバルカン半島の要衝にあって、古くから数々の民族が混じり合い、独自の文化を築き上げてきた国。モスクと教会が同居するような独特の佇まいが魅力的です。
正式名称: |
ブルガリア共和国 Republic of Bulgaria |
首都:ソフィア |
人口:約752万人 面積:約11万910万㎢(日本の1/3) |
人種・民族 |
ブルガリア人(南スラブ系)、トルコ人、ロマ、その他 |
宗教・言語 |
ブルガリア正教、イスラム教、その他 言語:ブルガリア語 |
通貨:レフ
時差 |
時差:-7時間夏6時間 ブルガリアが正午のとき、日本は午後7時
サマータイム:4〜10月は-6時間 ブルガリアが正午のとき、日本は午後6時 |
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国旗のウンチク:白、緑、赤の3色旗。白は平和と友好、
緑は豊かな大地、赤は勇気と忍耐を表します。 |
東京(成田)発《12:30》飛行機ルフトハンザは出発まで2時間遅れ 、ミール券1000円がでましたので「蕎麦屋」で昼食しその後はぶらぶらと・・・。どこかに忘れてきてしまったC型プラグを2個購入し出発しました。ミュンヘンでの乗り換えに間にあうのか心配でした。
ミュンヘンの空模様が悪く到着が遅れましたが、幸いにも乗り継ぎのソフィア行きの便も遅れたためちょうど良かった感じです。
ブルガリアのソフィア空港は小さな空港です。ホテルにはバスで20分ほど、夜中の1時にチェックインしました。古いホテルで旧共産党時代の色濃くそのままです。
ホテルの窓からはライトアップした、アレキサンドラネフスキーの教会が夜空に浮かび上がります。
さっそく観光の始まりです。
【世界遺産】
この教会は一回にガイド含めて8人まで入ることが許されます。ひとグループ10分間の限定見学です。しかもカメラは禁止です。時代ごとに三つのエリアに別れていて、初期のものは1000年前のものとされています。キリスト教の壁画がきれいに残されています。市民への布教のため描かれていますが、「最後の晩餐会」の絵には11名の弟子しか描かれてまません。この辺が解釈のおもしろいところで、残りの一人ユダは象徴的なものとなって、足は大根で描がかれていて興味が湧きます。
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右側(右から古い) |
左側 (左から古い) |
 正面と入り口ドアー「弾丸跡」
なかなかうるさい管理人のおじさんがいて、
8名ぴったりで門が閉ざされます。
そこからあと10分待たされることになります。
その為、怒った誰かが扉に銃弾を浴びせたようで、
弾痕がいくつも残っています? |

東ローマ帝国と西ローマ帝国(後のビザンチン)にわかれたとき、東ローマ帝国は本家(スタンダード)と名乗りブルガリアと名乗りました。
聖ブルガリア正教の教会とカトリック教会の違いのひとつは、協会の中は平面の絵画だけであって立体的な像は使われていない。 教会内の椅子は学校の教室のような並びではなく、左右両サイドから向き合うような形で並んでいて、講堂中央には椅子が見られません。
イコンの壁の向こう側は神の領域で、こちら側のこの世とは隔たりがあり、小さな扉の向こうに聖所で、聖職者の一部が入ることを許されています。
もちろん銅像なるものはなく、正教のトップはその国教のトップ司教です。
一方カトリックはバチカンの教皇がトップであり、どの国の教会も彼を父と崇めます。
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ロシアとトルコの土露戦争は500年にわたり植民地化されていたトルコから
ブルガリアを解放をしました。しかしロシア軍は20万人もの戦死者をだしました。
それを慰霊するために40年の歳月をかけ建設された教会です。
この大きな教会内は静寂につつまれています。町の中心にありシンボル的な存在です。 |


緑の多い山深い道を行くと、忽然と色鮮やかな建物が現れます。こんなところにこんな素晴らしい教会がたてられたことが不思議です。
オスマントルコ軍もこの教会については目をつぶり宗教活動はある程度許されたらしいです。入り口の門は二つあり、正門は幻想的で威圧感あるもの、その門を潜るともうそこは別世界が広がっていました。
広場の真ん中に聖堂があり、僧院の奥はリラ山脈がそびえて借景とし、建物と山・森同士がハーモニーを創り出しています。
石畳を歩き聖堂内に入ると、イコンや壁画が黄金に輝き、聖所とに下界とに区分けされています。
外壁には天国と地獄の絵が描かれ、修道僧がつくりあげた壁画、細密な彫刻、イコン(聖画像)など東方キリスト教の文化が溢れています。僧院の創立は10世紀ですが、現在のかたちになったのは14世紀に
なって からの事です。
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宿坊、以前は旅行者も泊まれたらしい |
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天国と地獄or最後の審判? |
キリストを中心とした壁画 |
後髪をひかれながら僧院を後にしてソフィアに戻る。
夕食は、ショップスカサラダとラキア(果実酒)をご賞味!ぶどうからできている酒でものすごい純度とアルコール度が高い。
翌日7時30分出発するところ、一組の夫婦のご主人が高熱を出し離脱することになってしまいました。添乗員が手配し、日本大使館にお願いして日本語のわかる人の応援を得てわれわれ一行はそのまま出発しました。
歴史のある国内第二の都市へ
ローマ時代の円形劇場や旧市街には歴史ある多くの建物が残る世界最古の一つとされている町、6000年の歴史を誇りスレドナ・ゴラ山脈とロドビ山脈間のトラキア平原の真中にある古都です。
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マリッツア川の橋はショッピングアーケード。
ここを抜けて旧市街へ。 |
名物パンだそうです。
確かに旨い。 |
ジュマヤジャミーヤ
下は売店 |
円形劇場の近くには芸術の大学があり、あちらこちらから音楽が流れてきます。あたりにはキャンバスを抱えた若い学生たちが写生をやっていて、新しい文化を発信しています。昔から欧州の中でもアクセスが良いので、様々な催しが開かれ活発な人の行き来が見られた。
【古代劇場】
2世紀に皇帝マルクス・ウルピウス・ネルウァ・トラヤヌス(在位98年~117年)によって建造されましたが、4世紀に火災に見舞われましたが、その後修復されました。今では、集客数約500人の野外劇場としてオペラやコンサートに利用されています。
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ローマ円形劇場跡
イベントの準備中、音響は抜群とか |
聖処女教会
結婚式では人気NO1 |
写生をする
学生達 |
旧市街
石畳の道を少し下ると、数多くの出窓の付いた、非常に変わった形の建築物がある。
教会の北側には「ヒサル・カピヤ(要塞門)」が見える。「紀元前4世紀にマケドニアのフィリップ二世によって建てられたもの。
オスマン帝国時代ネベット・テペの要塞を中心とした旧市街
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ヒサル・カピヤと呼ばれる要塞門だそうです。
紀元前4世紀にマケドニアのフィリップ2世によって
建てられたものだそうです。 |
聖コンスタンティン・エレナ教会の鐘楼 |
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こんな空間が現在に残っている。 |
民族博物館 |
観光後は期待の で有名なカザンラクへ向かいます。昼食はタラトール(冷製ヨーグルトスープ)


第二次ブルガリア帝国時代の首都。ブルガリア最大の山脈「バルカン山脈」の東部に位置しています。
大関琴欧州の故郷はここから30km離れたところの寒村だそうです。
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ツァレヴェッツの城塞、古い教会と王城の跡
ライオンの番兵がいます。 |
旧市街のメインストリート。
職人街(サモヴォドスカ・チャルシャ) |
橋から旧市街へ向かうと「チャルシャ」と呼ばれる地域があり、旧市街の中で最もトルコ風の家並みが残る場所です。お土産やが林立していて、独特の民芸品も多く並び楽しさいっぱいのとおりです。

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かわいい店がいっぱい |
スープボールをゲット |
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タルボノ焼と店員さんと |
綺麗な絵皿が並びます |
旧市街でお買いもの後ホテルへ (INTERHOTEL VELIKO TARNOVA)。
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カルバマ&サラダ |
ここのフロントに琴欧州の写真と手形が飾られていました。
夕食はカバルマ(煮込み料理)は中華料理のような感じでした。
サラダはヨーグルトとキュウリの和えたもの、これはGOODでした。
フルーツはリンゴひとつでした。
ホテルの朝食には美味しい本場?のヨーグルトが良くでます。ブルガリア人も良く食べるそうで、1か月各家庭では100ユーロをこの食品に費やすそうです。
このホテルはヤントラ川を見下ろすロケーション朝起き見ると目の前に川が流れており、天気もよさそうなので散歩にでたところ、アッセン王のモニュメントとヴェリコ・タルノヴォ美術館モニュメントの前で6人の人たちがなにか運動をしており、声をかけたら一緒にどうかと言われ、MIは参加することになってしまい、スクワットのやり方を指導していた。写真を撮り始めたら、参加者の一人が写真をぜひ送ってほしいと、メールアドレスをよこした。約束どおり送ってあげよう。
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ヴェリコ・タルノヴォ美術館 |
アッセン王のモニュメント |
Miss Stellaと |
【世界遺産】
自然豊かな街道をしばらく走るとおおきな断崖がせまってきます。その断崖の中腹に小さな洞窟とテラスを望めます。そこが岩窟教会です。
登り口は二つあり、ゆったりしたスロープを上る予定でしたが、そちらには先客が少し前に上り始めたので、われわれは急坂階段を登り追い越すことにしました。
荒い息をしながら小さな洞窟内の教会を見学します。
入り口にはおじさん管理人が一人います。300円払うとカメラ写真OKだそうです。
中は1300年代後期のもの、本来の入り口は断崖をロープと梯子と素手を使い教会に入ったそうです。
中では80人が住んでいたそうですが狭すぎる。
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駐車場から見あげると教会が見えます |
狭い教会の入り口 |
周りは断崖 |
続いてルーマニアへ行きます。
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