ここからアフリカ大陸を横断します。

船はカメルーンのドゥワラ港に到着しました。
車を陸揚げして、税関に行くため走行していたら、隣を走っていたフォークリフトから大きな荷物がドスンと落ち、デリカの右側がベコリと凹みました。しめた!、修理費の請求が出来るぞ。フランス語圏の国ですから、こっちにはフランス人のフランソワが一緒、彼に盛んに交渉をさせます。我々は先を急ぐので、ここで修理をする時間がないと主張します。そして、修理費を現金で貰う交渉が成立しました。隣町のサウリモで現金を貰うことに決定。もちろんお金(US$115)はバンギでゲットしましたが修理は自分達で適当に済ませました。
その後、地元のフランス人一家に招かれ食事をご馳走になりましたが、フランソアと一家の会話は全然理解できませんでした。
 同行したフランソアと私とisao、旅行中のキャンプ風景
コース:ドアラ・ヤウンデ・国境

 こんな事もありました。
セントラルアフリカは勿論道路舗装はほとんどされていません。雨が上がると、ムカデのような虫が道路一面に這いずりまわっていました。気持ちワルー。
ある時、おおきな窪みをよけそこなって、どぶへ転落。荷物の大半を降ろし軽くなったところで、住民らしき人々を集め押してもらい脱出します。また急坂登りで道路が砂地で脱出しきれない場所では、しばらくしていれば人は集まってくるので押してもらいます。勿論お礼のタバコは忘れずに差し上げます。
スタックが多いのはアンダーガードが重いのだ、などと言いながら、それをとりはずし身軽にしてしまいました。
首都バンギではフランス人の家庭に招待され、学校の先生だそうで、教室で柔道を指導して欲しいと頼まれたのにはびっくり、出来るわけがありません。また、食事は大変美味しく頂きましたがデザートに出て来たライスを甘くしたケーキには閉口しました・・・でも全部平らげましたけどネ。
また、その先生の友人宅にも招待されましたが、そこでは食前酒のウイスキーを飲むことが出来ますのでISAOはご機嫌でした。ちなみにその日のメーディッシュは懐かしいカレーライスでした。
その後この国は内乱が起きたりしましたがどうしたのだろうか・・・当時はボカサ大統領独裁の時代であり、首都バンギのバンギ川にはすばらしい彼の別荘が建っていました。第○夫人はフランス系の美人で実はCIAのスパイだったとか・・・・。

川を渡るバック(フェリー)、料金とガソリンを提供します。
コース:バンギ

 パパイヤをゲットしました。
アフリカの中のアフリカ、人々は親切と好奇心でいっぱい。何処の村でも部落内の広場でキャンプOK、ウエルカムでした。小人のピグミー族がいましたが、彼らから毒矢付きの弓と矢を物物交換しました。isaoはこの毒矢を帰国のときに羽田空港の税関 で没収されました。商店?の脇に大きなパパイヤの木(20m位い)があり大きな実がなっていたので、買いたいと言ったところ、ただでやるから自分で取れとの事、isaoがよじ登りゲットし、本場のフルーツ味を楽しみました。左の写真はパパイヤを持ったisaoです。その辺の池やジャングルにカバだのなんだか知らないデッカイ鳥が飛んでいて、これが本当のアフリカかも・・・。
野鳥が車に衝突、今夜のディナーに
コース:リサラ・ニアニア・コマンダ・国境

ビクトリア湖のフラミンゴの壮観な景色は半端じゃないよ!!
ランチタイムには湖全体をピンク色に染めるフラミンゴの大群を肴に食事をするのです。
このあたりからバッテリーの調子が今一つ良くありません。よく見るとバッテリーが暑さで割れて希硫酸がもれていますし、バックランプへのハーネス(回路)が焦げ付いています。これは公営大型バスのバックランプと同じものを取り付けたので容量オーバーでしょう、トホホ・・・。そして赤道をまたぐのです。意外と寒くて二人ともポケットに手を突っ込んでいます。

ウガンダ赤道上のモニュメントです
コース:カンパラ・キスム・国境
 
 川には橋が無いことが多いです。
ケニヤに入ると後ろから日産フェアレディZがけたたましいホーンと供に勢い良く追い越していきました。「栄光への5000キロ」、まもなくサファリラリーの始まりです。
日本がんばれ!その年は日産が優勝しフランスのプジョウーが2位でした。同行のフランス人と大いに盛り上がりました。
ところが、ケニヤのナイロビ日本大使館に来たisao夫人の手紙 に、自身の体調があまり良くないとの事が書 かれていました。isaoはすぐ帰国したいそうで、港町モンパサまで行って、日本船を捕まえようとしましたが無理なため、再びナイロビにもどり飛行機 で帰国しました。
モンパサはすばらしい海で、潮が引くと砂の窪みに熱帯魚がわんさか残り、これを日本に送れれば大金持ちだと大騒ぎでした。町の魚屋でおおきな海老や魚が格安で買えますので、ゆがいてグルメです。また、モンパサで安いバッテリーを新調しましたが、これがパワー不足で参りました。 象に注意の標識です。
これからは一人旅です。isaoが帰国する前に車の修理を覚えなければ・・・。
広大な東アフリカの悪路を疾走するサファリ・ラリーカーレース
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日産自動車は1963年からこのレースに参加し、8年目1970年の大会でこのブルーバートSSS510(左:ヘルマン/シュラー組)が堂々の勝利を遂げました。
私が訪れた1971年にはこのフェレディ240Z(右)で総合優勝を果たしました。日本人として誇りに思ったし、質問攻めにも会いました。
日本車の力を世界に知らしめたきっかけになったと思います。 |
コース:キスム・ナイロビ・モンバサ

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