ネパールへ
機内では、珍しく真剣に入国書類を作成します。聞くところによると結構細かな指摘があったりして、時間がかかるとのことでした。しかしながら、夜中に空港に到着し心配もなく、なんなく入国できました。税関を出るとガラス越しに大勢の待ち人がいて、目がぎらぎらと輝いていました。出迎えの人と混じり、ポーターと称する人が荷物を運びたがります。それを警官が追い払います。車は英国の植民地時代の影響で左側通行でした。
ホテルの朝食は韓国から来た30人程のグループと同じテーブルで食事です、これからインドへ行くそうです。目の前の韓国奥様はタッパーに「からし菜やこなごの煮つけと定番のキムチ」を持っていました。だんなは持参のインスタンの辛い麺を持参していました。我々も韓国料理が好きなので、チジミと宗家キムチの話が盛り上がりました。
迎えのバスが来ないので、時間つぶしにダウンタウンへ行ってカレーpowderを買いましが古そうでした。
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雑然とした街中 |
最初にカレー粉を購入 |
カトマンヅの交通渋滞は相当ひどいもので、バスは予定より30分遅れで出発です。
その間ロビーで会ったネパールの若者は日本から多くの援助をいただき学校、病院
や橋などが造られ感謝していますし日本人はイメージが大変良いそうです。
今季は異常な天候が続き雨や曇りの多い日が多く、山が見えにくいそうです。
町中に進むと大渋滞が始まっていました。車やバイク・自転車が好き勝手に走行して
いて危険きわまりないのです。町中のインフラは整備が遅く、川も汚くごみが散乱しています。 アジアではあまり見かけなくなった光景です |
バクタプルの観光です。 |
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ダルバール広場 |
遠足の女子学生達と |
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王宮とブバティンラ・マッラ王の石柱 |
国立美術館入り口 |
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タレジュの鐘とハリ・シャンカール寺院 |
55窓の宮殿 |
この国はヒンズー教徒80%で仏教徒が10%。ガイド曰「ヒンズー教徒は牛肉を食べないし裸になるのが恥ずかしいので、「昨年日本へ研修旅行に行ったときにも温泉に入らなかった」そうです。11月に行われる祭りは生け贄を用意し、羊・水牛・鶏等の雄だけを使うそうです。有名なエベレストは発見したイギリス人の名前で現在は公称8858mの高さがあるが、毎年少しずつ高くなっているそうです。
ダルバール広場(Durbar Square):「ダルバール」とは「宮廷」という意味です。名前のとおり、マッラ王朝時代にはカトマンズ王国の中心地となっていました。王たちが美しさを競い合って建てた広場のため、建物の装飾の美しさには目を見張るものがあります。ダルバール広場に立ち並ぶ20数棟にも及ぶ寺院にはいろいろな時代のものがあります。古くから王族の由緒ある場所である広場では、今でも王族の戴冠式や即位式が行われています。この広場には生き神の住むクマリの館やハヌマン・ドカと呼ばれる旧王宮を始めとする見どころが多くあります。

1702年にプパティンドラ・マッラ王により建立された30mの高い寺院で、広場ではひときわ目立ちます。ニャタポラとは、五重の屋根という意味で、見ただけで登りたくなり当然ながら上まで上がってみます。きつい石段の両側には下から伝説の戦士・象・獅子・グリフィン・女神の石像が守護神として1対ずつ置かれており、普通の人間の10倍の力を持つと言われている。
トウマディ広場、寺院の上は見晴らし台
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ニャタポラ寺院5層の屋根 |
バイラヴナート寺院1934年建て替え |
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ニャタポラ寺院のテラスから |
獅子の像 |
タチュパル広場、一番古い街並みが並びます。
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ダッタトラヤ寺院とガルーダ像1427年築 |
ランチ |
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のんびりした日だまりで |
お土産やが並びます。 |
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孔雀の前の売店2Fから |
孔雀の窓、ネワール彫刻の秀作 |

次はバスでナガルコットへ。約45分。
バスは曲がりくねった細い山道をクラクションを鳴らしながら登っていきます。カーブミラーなんかありませんし、カーブでいきなり対向車が来たらアウトです。数日前にバスの転落事故があったのもうなずけるところです。あたりは農村風景がひろがり、
ナガルコットはヒマラヤの展望台として知られる場所で多くのトレッカーが集まるところ、周辺にはコテージや簡易宿泊所があり、日本人経営と思われるホステルもありました。
寒い夜がやってきました。定期的に停電があります。この地域だけをまかなっている発電機のためどうしても停電になるようです。エアコンも使えません。夜になるとホテル側でうれしいことに湯たんぽを用意してくれました。
MIは2つを抱いて寝ていましたが、数日後ふくらはぎに低温火傷を負い1ヶ月後の温泉にも入れませんでした。
段々畑が世界遺産に登録しても良いように
整備されているものでした。 |
ガスっていて山はなにもみえない。
ホワイトアウトです。 |
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翌早朝ヒマラヤ日の出観賞、ホテルはこの丘に建っているので、屋上から眺めましたが霧のため景色はぜんぜんだめでした。まあ、写真を見ながら晴れればこんな風に見えると想像するのでしたが寒さが堪えます。
陸路パタンへ戻ります。
山を下り始めると、この街道は通学・通勤道路なのです。後ろから来る車は追い越しをさせろとクラクションを鳴らすし、前から来た車は双方譲らない。そのうち双方からの車が渋滞し、誰も譲ろうとせず時間が過ぎる。やっとのことでこの対面から抜け出すと乗客たち拍手喝采であります。
古き良きネパールの街並みが残るパタン市内
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パタン の中心にある王宮広場(ダルバール広場) |
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ごった返す商店街 |
鍋屋 |
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クリシュナ寺院 |
右奥が旧王宮 |
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17世紀のシディナラシン王の時代に建てられたと言われるクリシュナ寺院(Krishna Mandir)には、
ヒンドゥー教のヴィシュヌ神の化身であるクリシュナが祀られています。
クリシュナは、マハーバーラタ戦争で正義のために戦ったとして、ヒンドゥー教徒に広く人気のある神様です。
珍しい石造りで、院前にはヴィシュヌ神の乗り物であるガルーダの像があり、
ネパールを代表するシカラ建築の建物で、ブッダも祀られています。
ヒンドゥー教徒にとっては非常に重要な寺院でインドからも多くの巡礼者が訪れ、
寺院が人々に埋め尽くされます。われわれは入れません。 |
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沐浴所が至る所にあります。 |
お供物が売られています。 |
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ネパール料理 |
中華料理ミックス |
パタンは西暦299年ヴィール・デーヴァ王により設立されたと言われていますが、学者たちの定説ではパタンは古代に設立され、発展したとされています。中世にはマッラ王朝により、さらに拡大されました。伝説を含むいくつかの歴史的記録によれば、パタンはカトマンズ盆地で一番古い都市であるとされています。
非常に古いキラット年代記の一つにはパタンはリッチャヴィ王朝の支配者たちがカトマンズ盆地に侵入する前に創設されているとされています。 その年代記によればキラット王朝の最も古い首都はタンコットであり、キラットの王ヤランベルが権力を掌握すると、現在の首都、カトマンズは2世紀頃、タンコットからパタンに移動させられたと考えられています。
パタンをネワール語で表現するときに最も使われる「ヤラ」はヤランベル王が自分の名前をつけたといわれ、統一マッラ王朝は1484年にバクタプル王国からカトマンズ王国として独立、さらに、1619年までに、パタン王国が独立して三王国時代に入ります。パタン(ラリトプル)には当時の王宮はじめ多くの文化財が残されています。

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クンべシュワール寺院パタン現存で一番古い1392年に建てられた
シヴァ神を祀るヒンドゥ寺院が遠くからでも五重塔が目立ちます
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ゴールデンテンプル
金の寺院の中は
裸足で歩きます |
観光後、カトマンズ空港へ行きポカラまで30分で行くはずでしたが、空港から何度か電話が入り向こうの空模様が良くないので飛行機は飛ばないとか、安全優先あきらめてバスで行くことにしました。地図でみると山道ですが舗装された国道でもあるし200kmの道のり3時間たらずで行くと思いましたが大違い、らくに7時間はかかりますとのことでした。
まあバスの旅も悪くない、田園風景と広大な川と段々畑を見ながらバスに揺られていきます。途中小さな町で買い物を楽しんだりして6時間かけてポカラに到着しました。
ホテルでは夕食を特別に作って待っていてくれました。
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喧噪のカトマンズを離れて |
田園風景が続きます。 |

早朝ヒマラヤの展望台 サランコットの丘ハイキング
午前中に山を眺望する、ポカラでも人気の展望スポットへ。早朝バスで登山口へ向かうが辺りは霧のなか。期待をせずに丘を登って行く、山のあちこちの部落には現地の人が生活している様子が見える。山頂には1時間ほどで到達したがやはり雲っていてよく見えない。なんとなく稜線が見えるような、見えないような・・・。旅行者は全員がっかりの様子。だんだん寒くなってくる、そこに売店のお兄さんが現れる。日本語を少し話すようだ。みんなが見ている方向から90度左方向にダウラギリ(8167m)を発見、上手な説明を受けた。
そのお礼に彼の売店まで行くことにした。そこには可愛い奥さんと子供たちが待っていて、寒いのでお茶をいれてくれて世間話、奥さんはふもとの織物工場で手織りをしていてその作品を見せてくれた。それを買うことにした。何日か前に撮った携帯電話の写真を見せてもらい残念な気持ちが再び起きるが、午後にはきっと見えますよとのことで期待することにした。
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登山中振りかえると朝日が・・ |
サランコット丘のTOP、何も見えません。 |
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衣装がカラフルでです。 |
何族かわかりませんが、衣装がキラキラ |
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売店のお兄ちゃん一家、奥さんと小さな
子供たち、手織りのスカーフを購入です。 |
庭先には大麻を栽培していて
不法だがたまに吸うとのことでした。 |

午前中はのんびりして、街中を散策、小さなマーケットで香辛料やお土産の
エレベストウイスキーを購入 。デビットフォールを観て、オールドバザールを観て
ヒンドゥバシニ寺院からポカラを遠望します。
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店員さんと品物調べ,香辛料の山 |
日本語が上手でした。ウイスキー購入 |
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ホテルの窓から、天気が回復したようです。 |
川での洗濯風景 |
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デビットフォール
ドイツ人のでビットさんがここから落ちたの
でその名前をとってこの小さな滝の名前
にしたそうです。くれぐれも落ちて新しい 名前にならないようにと説明がありました |
旧市街オールドバザール(Old Bazar) |
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ヒンドゥバシニ寺院
オールドバザールの脇から階段を登るとヒンドゥー教寺院があり、
ドゥルガ神、ヴィシュヌ神、クリシュ神を祭っているが、本尊はドゥルガ神だそうである。
ポカラに住むヒンドゥー教徒たちが参拝に来ますが、
石畳の境内では、毎日生け贄のヤギや鶏の首が刎ねられとか・・。
我々もおでこにマーク(ビンディ)を頂きました・・・。
ビンディは第三の眼あるいは第六のチャクラ(エネルギーポイント)を表し、
身体エネルギーを集中させ、増強する魔除とか・・・。 |
フェワ湖
ボートで対岸の島へわたる。何人かに分散して乗るのですが、セフティジャケットはありません。漕ぎ手はおばあさんで気が引けますが、ゆっくりしたペースで行くので景色を見るにはぴったりでした。この湖岸のボートからの景色は日差しをうけたヒマラヤが始めて目の前に現れてきました。夕日に輝いてきました。感動の景色が広がりここまで来た甲斐を感じるところです。
ネパールで二番目の湖の中心に小さな島が浮いています。
島には小さなヒンデュー教のバラヒ寺院があります。
バコダ形式の女性の力の守護神アジマ神の猪が祀られています。
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牛がお出迎え |
湖畔のレストラン調理場 |
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大勢で押しかけて来ます。 |
定員オーバーでは?? |
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こんな風です。 |
中之島のヒンデュー教バラヒ寺院 |
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マチャプチャレ(6993m) |
アンナプルナV峰(7556m) |
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カトマンズへ飛行機で戻ります。仏教・ヒンドゥー教の歴史的建築物がひしめく≪カトマンズ市内観光≫
ネパールで最も古い寺院
別名モンキーテンプルとも言われていて、仏教はあらゆる生き物を大切にしますので、ここでは猿が大手を振って歩いています。でも日光の野生猿とは別でおとなしく感じます。長い階段を登ると、もともと湖であった盆地を丘に変えたといわれている文殊菩薩が大日如来を唱えて立てたといわれスワヤンブナートと言われています。国内最古の仏塔は5世紀の建立といわれ高さ15m黄金に輝いていました。
ご利益があるように曼荼羅の文字入りの帽子を買いましたが一日被っただけで飛行機の中に忘れて中国の広州に置いてきました。縁がなかったのでしょう・・・。
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寺院の入り口に猿いっぱいです。 |
ここで買った帽子は飛行機の中へ忘れ・・ |

もう夕暮れになってしまいました。この寺院は巡礼者や信者がくつろいだり、休んだりする場所でそうとうの歴史ものです。この国の最古の建物で、その意味は「木の家」といわれ、ここカトマンドゥの名前の由来でもあるのです。おおきな建物は一本の木で出来ているとも言われています。
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収集のつかない大渋滞状況 |
カスタマンダプ寺院 |
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門前で野菜市場を開催中 |

クマリの館は、1757年最後のマッラ王朝のジャイ・プラカース・マッラ王によって建てられました。2頭のライオンに守られた門を入ると生神のクマリが上段の窓から顔を出しました。もちろん写真は禁止です。
多くの候補者から厳選され、とくに物怖じしない女子が選ばれるとの事です。彼女はこの館で住み、年一度のインドラジャトラの祭りに山車の上から世間を見ることが出来るそうです。以前は国王もここを訪れたそうです。何年かで卒業すると何になるのでしょうか、誰かはその後航空機のアテンダントになったとか、たまたま窓から顔を出してくれましたがキョトンとしていました。それはガイドがチィップを渡したのかも・・・。
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中央の窓からチョコンと顔を出します。 |
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旧王宮入り口今は博物館になっている。 |
カーラ・バイラヴ |
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オーナーはネパール人で出し物は日本そば。「ホテル・サンセット・ビュー」というこぢんまりとしたホテル内にある。信州の戸隠でそば修業をつんで奥さんが日本人という経歴の持ち主が経営するホテル内のそばレストラン。
今は現地の若い弟子たちがそばを打ち営業をしているが、なかなかの出来であった。
そば団子や寿司もどきも楽しめました。
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Yeti Airlines
今日は晴れていて青空が見える。乾期ならではの澄み切ったパノラマ絶好の遊覧飛行日です。空港に着くとすんなり搭乗となります。座席は全指定であり、窓際のみが確保されていて、中間の席は空席でした。30人乗りの席に18人が乗っています。行きは左側にヒマラヤ山脈が見えて帰りは右側の席から山脈が見れるように工夫されています。
左側の窓から荒々しい雪を被った山脈が続きやがて、視界にエベレストが見えてくると、アテンダントが操縦席に案内してくれて、コクピットからまじかに8000m級の山々を見せてくれるのです。彼女は機内を行き来し熱心にそれぞれの山や谷の名前を教えてくれますが、いちいち覚えることもできませんが、マジかでみるエベレストは圧巻で、さすが命がけの遊覧飛行です。
息を呑むような絶景が眼前に広がっているのでした。1時間ほどの飛行機旅を大満足のうちに閉じることができました。
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こんな飛行機で行きます。 |
機内はこんな感じ、全員窓際 |
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飛行機はスタッフが手押しで移動 |
ポリタンクから給油しています。 |
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上空からはすばらしい景色が・・。 |
コックピットからエベレストが・・。 |
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こんな近くでエベレストが見れるとは、8848mは感激です。 |
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色々な山が見えますが、ガイドが全て説明してくれます、憶えられません。右山はローツエ(8516m) |
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岩肌と氷が猛烈です。 |
無事帰ってきました。ほ・・・。 |

シュパティーナート、ネパール最大にして最古のヒンドゥー教寺院今回は写真を貼り付けませんが、早い話が屋外の火葬場です。
外国人からは入場料を取りますし、みやげ物屋が軒をつなれ、多くの市民や観光客が押しかけています。荼毘煙の立ち込めるなかデートをしている人、座り込んで物を食べている人、祈っている人、さまざまです。焼き終えた灰を川に流し込み、川の水に溶け込むように素手でかき回しています。宗教感の違いでしょうかすべてを受け入れている感じでした。
シュパティーナート寺院
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左が寺院入り口、右の橋の下で荼毘が行われています。 |
ホテルに戻ったら「結婚式」をしてました。
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神秘的な儀式 |
来賓たち |
宴会の真ん中で火を焚いています。 |

昼食のレストランがこの寺院の一角にあり予定より時間が余ったのでゆっくりと見学ができました。
中央にネパール最大のストーバがあり、マニ車が周辺を囲んでいます。MIは結構マニ車が好みらしく、見受けられると大概まわし始めます。一回転でお経を一回読んだことになるとか言われていて、ご利益があるでしょう。この周辺はチベット人が多く住み、地べたにへばりつくような格好で祈る五体投地の姿も見られます。空には旗5色で空・水・火・地等を意味する旗が風になびき美しく見えます。袈裟をかけた坊さんも多くいて、観光客と気楽に写真を撮ったりしています。
世界最大のストゥーパ
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お祈りの言葉「オムマニペメフム」 |
旗が綺麗になびきます。 |
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ストゥーパ・ブッダの目 |
天気が良く空が青い |

こんな火鍋で
料理を頂きます。
中華料理
インド料理
日本食
と多彩です。
スープと
万頭がでました。 |
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最後の夜は民族舞踏があるネパール料理を出すレストランで、座敷に座って食事するようになっています。
座布団が引かれていて日本座敷そのもの、意外とくつろげるがその周りで勢い良く踊るので、薄暗いので分からないがかなりの塵が飛んでいると思う。
夕食後、空港へ。広州乗り継ぎで帰国しました。
やっぱり山が好きです。
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