イスラエル 2 JUN/2010
イスラエルとキリストは切っても切れない関係があります。当然イエス関連の歴史的施設がありますのでここに記載します。不勉強なのと聞いた話ですので間違っているかもしれません。お許しを・・・。
 
受胎告知教会は326年コンスタンチヌス大帝の母ヘレナの依頼により、マリアの家の跡とさている所に築かれました。現在の教会は1969年に建てられ中東最大のキリスト教会です。教会内の壁には各国のキリストを抱いたマリヤの肖像画があります。日本からは長谷川ルカさんが描いた着物を着た「華の聖母子」、マリヤは着物を着てイエスを抱いています。
BC7年ころ、マリヤはユダ町のエリサベツを訪問し、三ヶ月後婚約者ヨセフのいるナザレに戻ります。聖母マリヤは天使長ガブリエルから受胎告知のお告げを受けます。その時マリアの身重を知ったヨセフは相当びっくりしたでしょう。
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受胎告知教会正面、形はA(アベ)のイメージ |
この洞窟でマリアは
受胎告知を受けた |
日本からの絵 |
 イエス生誕の地
イエサレムから検問所をとおりパレスチナ暫定自治区ベツレヘムへ。教会はパレスチナ暫定自治区にあり、出入り口はガードが固く、パスポートも必要で、兵隊によるチェックが入ります。当然ここ検問所は写真撮影禁止区域となっています。
聖母マリアは一度ナザレへ戻りますが、再びエルサレムのベツレヘムへ来たときにイエスキリストが生まれたとされています。
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生誕教会メンジャー広場
ヨセフが親戚を頼りにこの地を尋ねましたが、
宿はどこも一杯で羊飼いに頼んで馬小屋に |
「謙虚のドアー」
教会の入り口は狭い |
教会の中ギリシャ聖教とローマ聖教がそしてアルマニア聖教が重なってる |
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聖誕の場所 銀の★形 |
生まれた後に置いた場所(飼葉桶があった) |
 
当時ユダヤの地を統治していたヘロデ王はベツレヘム周辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺すよう命じました。天使が夢でヨセフにエジプトへ逃げるように警告します。逃げる時マリアがこぼした乳があたりを白くしたと言われる場所。そしてヨセフ一家はヘロデ王の死後イスラエルに戻ったそうです。
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教会のエントランス |
聖家族が逃げるところ |
何を祈り・・ |
再び
3年間エジプトに住んでから、再びナザレに戻り生活していた。ここで30年間聖家族は暮らしていました。
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聖家族像ヨセフ教会 |
受胎告知教会の側面、この下に住まいがあります。 |
教会内のステンド |
聖家族が住んでいた場所
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この地下の穴倉で(当時はこれが普通)
ヨセフとマリアが生活し、そしてキリストが
育ったと言われる場所です。
ここで大工(家具の作成)をしていたそう
です。 |
 
イエスが最初に奇跡を起こした舞台でした。この村で婚礼に招待されたイエスは水を葡萄酒に変えるという奇跡を起こしたと新約聖書に書かれているとのことです。
教会の前で、それに関連したワインが売られていますが試飲したら甘すぎでした。
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教会のフロント |
教会正面のキリスト像 |
水瓶がワインに・・ |
ガリラヤ湖畔 山の垂訓教会(ティベリヤ)
「イエスはガリラヤ全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、その評判は全地にひろまり、おびただしい群集がきてイエスに従いました。イエスはこの群集を見て、山に登り、言われた。(マタイ4/23-5/2)ここで説かれたのが有名な山上の垂訓です。
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山上の垂訓教会、人々の前で8つの教えを説いた。 |
教会の中は8角形 |
ジャカランタ |
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標高125mの山上にあります。 |
イエスはこの道を歩いて来ました。 |
ガリラヤ湖畔(ティベリヤ)
ここは聖書の舞台、イエスの一番弟子ペテロ(漁師)と会った場所にある教会。湖畔の岩の上に立っています。信者はここで水を持ち帰ります。(注:出国時にその水ボトルで検問にひっかかる人が何人もいました。問題はなかったようですX線検査を何度もうけていました。そのうち「こんなもの・・・」とか言っていましたが・・。)
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教会は岸辺に建っています。 |
教会内の岩 |
聖水を持ち帰り |
ガリラヤ湖畔(ティベリヤ)
イエスが2匹の魚と5つのパンを祝福して増やし、説教を聞きに集まっていた5000人あまりの聴衆を満腹にさせたという奇跡にちなみ建てられた「パンの奇跡の教会」もガリラヤ湖畔にあります。
会堂の中にはビザンチン時代のモザイクの床が残っています。
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教会内部 |
パンと魚のモザイク |
ガリラヤ湖畔のサンライズ |
ガリラヤ湖畔
ヨルダン川の始まりで洗礼所のヤルデニットを訪れます。初めて洗礼をみましたが厳かなものでびっくりしました。
イエスがヨハネから洗礼を受けた場所はもっと川下ですが整備されているのでここが人気だそうです。インドのガンジス川のようです。川にはビーバーや鯰がうようよ泳いでいます。ここの水もキリスト教信者にとっては重要なことでボトルに入れて持ち帰る人も多く見受けられました。
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敬虔なキリスト教徒はここで洗礼体験を受けています。感動して涙を流す人が多いです。 |
万国民の教会・エルサレム
何カ国かのスポンサーで建てた万国民教会にはキリストが最後に瞑想に耽り、寄りかかった岩があります。ペトロが裏切る中庭とイエスが見ただろうオリーブの木があります。
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ゲッセマネの園
イエスが見た
オリーブの木 |
万国民の教会(苦悶の教会)の正面、1919年再建
中にイエスがそこで祈った岩があります。 |
寄りかかった岩 |
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1955建築された教会
イエスが泣いて涙がたまった壺があります。 |
最後の晩餐が開かれた場所。低いテーブル
に座っての宴会であったとされています。 |

ゲッセマネの園で捕らえられたイエス キリストは大祭司カヤパのもとに連れて来られたとされます。シオンの丘の斜面にその大祭司カヤパ邸の跡に建てられた鶏鳴教会があります。鶏鳴教会の名前はイエス キリストの予言のとおり、弟子のペテロが三度イエスを知らないと嘘をついた後に鶏が鳴いたという聖書の話に由来します。
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鶏鳴教会 |
教会前のモニュメント |
鶏鳴教会の地下に大祭司カヤパ邸の地下牢の跡があり、そこにイエス キリストが十字架に架けられる前に留置されたされています。現在その壁に人影のようなしみが浮かび上っていますが、それはイエス
キリストをあらわしていると言われています。
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地下牢はひんやりとしていて薄暗い、壁にキリストの影が・・・ |
ローマ時代の道路が発見
され、イエスも歩きました。 |

歴史博物館となっているキリストが十字架を背負って歩いた道「ビアドロローサ」も非常に興味わく場所です。この道を2000年前にキリストが歩いたと思うと、不思議な気持ちになります。ビアドロローサの終わりには、キリストが十字架に磔られた「ゴルゴダの丘に聖墳墓教会」があり、その十字架が立てられたという“穴”もあります。
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裁判の場所 |
この坂を歩く |
ここでマリアと会う |
最初に倒れた場所 |
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ここから歩き始め |
手をついた壁 |
シモンが十字架を・・ |
3度目に倒れた場所 |
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途中にある売店 |
ベロニカが顔を拭く |
ローマ時代の円柱 |
脇道には民家が |
「聖墳墓教会」は、キリストが十字架を背負って歩いた“悲しみの道 ~ビアドロローサ~”の終点にあります。キリストが処刑されたゴルゴダの丘に建てられました。
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聖墳墓教会の遠景、近くでは見れません。 |
教会を出た広場に大勢の人がいます。 |
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ここで十字架にくくりつけられました。 |
イエス像の前に、十字架を刺した穴があります。 |
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埋葬前イエスはこの石台で香油が塗られました。 |
イエスキリストの墓。勿論中に遺体はありません。 |
そして復活するのです。
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