中国東北5都市列車の旅(MIの一人旅) sep/2010
![]() 異常な熱さが続く日本列島を離れて、少しは涼しい北の国、中国の東北部を目指します。 おりしも尖閣列島では中国の漁船と海上保安庁の船が接触した事故が発生して中国では大騒ぎです。 大連あたりでは石ころを投げられるのではないかと心配しましたが、だいたいニュースは現実の一部を拡大する事が多くて、そんなに深刻には考えずに、予約をキャンセルしないで出発しました。 列車の旅なので、荷物は出来る限り軽くしたいので、ネットでさがした、リモワのエアー88gをお供に出かけます。 行きは北京経由で国内線に乗り換え、一日がかりで黒龍江省の省都ハルピンに着きました。 現地は快晴で日本の暑い夏と変わりませんでした。 ![]()
![]() 長春は日本とロシアと中国が混ざった街。日本人の多くが住んでいた街並はまもなく取り壊されるそうです。しっかりしたビルはそのまま外観を残し、政府の建物などは、医学学校になったりしています。傀儡国家の満州国の 首都として当時は新京と呼ばれていた。
![]() ![]() 列車にはトランクを持ち込みますが、座席の周りには置けないので、網棚に持ち上げます。ガイドさんが持ち上げますがタイヘンな重労働でしょう。 どうしても列車に乗り込むときも中国の人は並ばない、おしくら饅頭で、仕舞いには喧嘩がはじまります。男性も女性も大剣幕で大変なことです。 瀋陽は、かって日本では奉天と呼んでいました。東北三省の最大級の都市で漢族を中心に29民族が暮らしています。 清朝の始まりに起きた廟がのこされていて、その後北京に移る前の形が残っています。食事は美味しく、とくに餃子は水餃子、蒸し餃子、焼き餃子とも美味しく堪能できました。多めに出されますので、お持ち帰りをしたくなるほどです。 昭 陵 清朝第2代皇帝ホンタイジの陵墓 1643〜1651に完成「明・清王朝の皇帝墓群」2004年世界遺産
瀋陽故宮 北京入城以前の王宮 1625年〜1636年落成、清朝開府時代の宮殿、北京の故宮と並んで瀋陽の明・清王朝 皇宮として2004年世界遺産に追加登録された。
![]() その後日露戦争を経て日本における直接統治が始まり、1905年「大連」と正式な名前が決まった。
![]() 1895年日清戦争に勝利した日本は1904年2月朝鮮半島と中国東北部の支配権をめぐり帝政ロシアと衝突1905年まで日露戦争を行い勝利しました。
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