テヘランから空路、マシャドへ
イランでは国民の大多数がイスラム教徒でシーア派 イランを中心にイラク・イエメン・アフガニスタン・パキスタン等にも広がっています。「シーア」とは「党派」という意味、シーアットアリー(アリー党)という言葉がつまって単にシーアと呼ばれています。根本的な理念は預言者ムハマンドの血を受けたものとその子孫だけが預言者の正当な後継者と認めるもの。礼拝は日に三回おこないます。
 イマームレザー霊廟:(765〜818年)
マシャドはシーア派の聖地なので、女性はチャドルを着ます。
慣れていないので足元にまつわりつき大変です。
シーア派の12イマームの第八代イマームは第七代のイマームの子供として生まれ、799年にイマームに即位しました。
アッバス朝カリフ、マムーンのシーア派宥和政策でメディナからメルブに招かれて817年カリフの後継者に任命されました。しかし、アッバース家側に強く反対され、翌年トョウス郊外で急死。シーア派はカリフレに毒殺されたと主張しています。17世紀に聖廟が作られ棺は黄金のドームの中にあり、内部は鏡のモザイクに覆われています。
金箔のドームと尖塔が美しい輝きをみせています。
モーフルとは(モッフル)シーア派のお祈りの際額の前の地面に布切れ(モフール)を置きます。モスクではだいたいモフールがおいてありますが、持ち歩く人もいます。
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バザール入り口。
干し物やスパイス、
スカーフや民芸品 |
シャンデイーズレストラン
骨付きの羊肉をシャンディーズ
ケバブといいます。マシャドが
美味しいといわれています。 |
定番のサフランライスとチキン |
愛とバラと詩の町シラーズ ファールス州の州都。人口400万人。
シラーズ市内観光。ホテル出発、朝から快晴、南部の町らしい暖かい気候です。サーディ廟、ハーフェズ廟やハムゼ廟、バザール、エラム・ガーデンへ行きます。
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ナシル・アル・モルワモスク 別名「ローズモスク」これまでのモスクの
常識を変えました。新しいタイプのモスクで、赤やピンク色が多用され、
色とりどりのステンドグラスに太陽の光が差し、絨毯を照らします。
おどろくほどの美しさに感動して、思わず座り込みました。 |
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8代イマーム(イマームレザー)の弟の子供が“ハムゼ”。
廟内は一面鏡張り、女性はチャドルを被り、中へ入ります。
今日はイスラムの子供たちのセレモニィーが行われていました。
9歳になる彼女たちは、イスラム5行の一つ、礼拝を始める年齢になり、
そのための儀式でした。
(男の子は15歳からです)
中庭の地面に墓が多くあります。
一年間で掘り起こされてしまいますが、
お金を払えばその後も墓を利用できるシステムです。
(地獄極楽も金次第・・・。) |
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「エラム」とは天国の意味、18世紀のガジャール王朝時代に建築されました。
セルジュク朝時代からあった庭園を改造して現在の姿になりました。
革命前には王の宮殿として使われていましたが、現在は大学の図書館です。
世界から集まった植物がきれいに植えられています。
バラも少し咲いていました。かわいい子供たちでにぎわっています。 |
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バザール入り口 |
ついに「バラのアイスクリーム」発見
トルコ風で粘っこく・・・。 |
シラーズから57kmの郊外 古代遺跡
 クセルクセス門:万国の門とも呼ばれている。
高さ16m。
人面有翼獣神像が両そでに構えています。
ダレイオス1世が築き、アレキサンダー大王によって
破壊されたペルセポリス王宮遺の入り口です。
この遺跡全体をペルセポリスは中東三大遺跡の一つ
(パルミラ・ペトラ)と言われています。
アケメネス朝ダレイオス一世のときに儀式用として築かれた都。
子供のワセルクセス一世のときに完成しました。
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迫力のあるいろいろな動物の形をした巨大な柱頭があちこちにある。
左は馬、右は鳥? |
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正面階段:入り口のおおきな階段、
威厳を感じる場所。
一段の高さは10cm段差が少ない
理由は様々なせつがある。
馬に乗ったまま行き帰ができる。
ライオンは王、牛は敵とみなされて
表現されているようですが、
なかなかリアルティです。 |
7ナクシュ・ラジャブ:ササン王朝時代
の王を浮き彫りにしたレリーフが
残っています。
@シャープル一世と9人の従者
Aワルクセスがアフラマズダにリングを
受け取る
Bシャープル一世の戴冠式等 |
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ペルセポリス全景
グレフィン:ライオンの胴に鷲の
頭と翼を持つ幸運と力の象徴。
牡牛の背中合わせ:大理石で金や
ラピスラズリで装飾されていた。
未完成の間:百柱の間、に続く間
百柱の間:10本10列、
100本の柱がありました。
ワセルクセス一世の玉座
アパダーナ:ペルセポリス最大
の規模の宮殿1万2432平米。
東階段貢物たちのレリーフ。
ダイレオス一世の宮殿:
黒の御影石で出来ていて、
「鏡の間」とも呼ばれている。
「不死隊」のレリーフ
クセルクセス宮殿:36本の円柱。 |
夕食:GAMBRONシーフードレストラン
ペルセポリスから6km
 騎馬戦勝図(世界遺産)
アケメネス最初の都でペルシャ帝国発祥の地。
紀元前546年〜紀元前333年)7世紀にアラブの侵略を受けた時(ササン朝)キュロス大王の墓をソロモン王の母の名に変えたため、敵も勘違いして壊されなかったの説もあります。
(王のプライベート宮殿→謁見殿→入り口の王宮→ソロモンの牢獄(遠望でソロモンの玉座)キュロス大王の墓を見学。
高さを誇示したペルセポリスとは違い、こちらは平地に作られました。
青・紫・黄色の花が咲いていました。
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断崖に描かれたサーサーン一世と臣下のレリーフ |
 キュロス大王の墓
乾いた大地がどこまでも続きます。
カレーズで写真ストップ〜大鷲の形の岩山
途中、アケメネス朝最初の都パサルガダエに立ち寄り、キュロス2世の宮殿や王墓を見学します。
パルサガダエの都は紀元前546年ころキュロス2世大王のもとで建設が開始されたアケメネス朝の最初の都
この墓は堂々たるものでした。
拝火神殿跡
 ヤフチャール(氷室)

こんな暑い国に「氷室」がある。冬の寒い時期に日陰で氷を作り、それをこの氷室に蓄えておき夏の暑いさなかに取り出して食べる。そんなことが出来る国なのです。
そのほかにカナートがあります。
人工水路カナート:乾燥地帯に住む人々にとって欠かせないものは、地下にトンネルを掘って底をトンネルでつないで水を送ることそれをカナートといます。
中世の隊商宿キャラバンサライ:シルクロードの20kmの間隔でキャラバンサライが設置されていました。20kmとは人やらくだが一日で歩くことの出来る距離。強盗や敵から襲われないように、堅固な城壁で囲まれていました。中には宿・ハマム・動物小屋などがそろっていいました。

ヤズドリリ州、ヤズドはイスファンから316kmテヘランまでは677kmの場所。マルコポーロの「東方見聞録」にも出てくる古い街、イランのほぼ中央に位置します。
人口50万人のこの町は決して派手ではないが古くからある街独特の趣がありました。
夏は暑く、冬は寒さが厳しい。
古代よりゾロアスター教の拠点となっています。
アミール・チャグマーグ・タキイェ
金曜のモスク:かってヤズドで一番人の集まるモスクだった。12世紀に立てられ14世紀には改築もされました。ミナレットはイランで最も高く52mあります。
 ダフメイェ・ザルトシュティーン
「ゾロアスター教の墓場」の意味。
鳥葬(風葬)の為に実際使われた「沈黙の塔」
4つの聖なるもの@火A水B土C風のどれも汚さぬように、この方法がとれれました。
現在は禁止されています。
「風葬の手順」
@遺族が別れを惜しむA死体をきれいに洗うBゾロアスター教の僧侶が死体を運ぶC風葬D大小の塔は交互に使う。中央に集まった骨は石火石のパウダーをかけて溶かす→土に帰ります。

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33橋:1602年アッバース一世が作りました。長さ300m幅14m
サファビー朝の首都として「世界の半分」と呼ばれるほどの
隆盛を極めたイスファハン。
豪奢なモスクや王宮が並ぶイスファハンは、イラン有数の美しい街。
イマーム広場を中心に広がる紺碧のモスクや宮殿を中心とした街は壮大華麗でした。 |
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チェヘル・ソトォーン宮殿
44柱宮殿:1657年アッバース一世の命により
建てられた謁見の間。実際20本の柱しかない
が池に美しくうつり40本に見えるもの。柱はレ
バノン杉。バラが美しく咲いている。 |
 ヴァーンク教会
アルメニア人の住むジョルファ地区へ向か
います。400年前オスマントルコに迫害された
アルマニア人をサファビー朝のアッバース一世
が招待しました。
内部の油絵が美しい。
教会は655年に建築されました。
「髪の毛に書かれた
聖書の一文」世界最小の聖書があります。
アルメニア人がオスマントルコに迫害された資料等がありました。
テヘラン市内観光
 サンダーバード宮殿サーダバード宮殿:1979年のイラン革命まで使われていました。白の宮殿と言われメラット王妃8シャーの二代目王妃)の住んだ建物。入り口には先のパプレヴィ王の足だけが残る像があります。
1階はレセプション2階は元王妃の寝室があります。栄枯衰勢ですネ。本日は小中学校の生徒がたくさん来ていて大変な混雑振りでした。
明るいイランの人々楽しい旅行の機会を与えてくれてありがとう・・・。
空路、イラン航空にて7時間30分 ソウル経由で帰国の途へ。ソウルから4時間30分 東京昼に成田空港到着。END
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