カシュガルまでの直行便はないので、羽田空港から関西空港で乗り換え、北京で一泊します。
北京は以前に増して、オリンピックがあるからでしょうか、飛行場を始め至る所で建築工事がされていて、道路や街がひっくり返されています。2008年にはどんな都市になっているのでしょうか、今から楽しみになってきます。 ![]() ![]() ![]() ![]() 翌朝北京発7:00の飛行機でウルムチの国際空港に降り立ち、乗替えてカシュガルへ行きます。待ち時間が長いのでウルムチ市内の観光です。二道橋バザールと北国春市場へ繰り出して行きます。 ウルムチはご覧のような都会で大きな町、往年のシルクロードのキャラバン隊を迎えたイメージは今はありません。175万人の人口、漢族・ウイグル族・カザフ族・モンゴル族・回族等が暮らしているのです。 ![]() ![]() 二道橋市場バザールはウルムチの解放南路二道橋に位置しています。ここに少数民族の住民、商店が集中していて、ウイグル族や回族人たちがあちこちで美味しそうなパン(ナン)を焼いています。どこからか群集が湧き出てきて、人があふれて来るのです。至る所で羊の串焼きシシカバブーの焼きたての匂いがして、胃の粘膜を刺激するのでした。 現在ここには新しい国際バザールが建設されていて、商店のいくつかを覗いてみましたが、買いたい意欲のでるような物はありませんでした。 見学後19:45発の中国南方航空でカシュガルへ行き、ホテルで一泊です。 ![]() ![]() ![]() ![]() 今日はバスでカシュガルからパミール高原&カラクリ湖を目指します。写真は途中で見かけた羊を売りにいく様子です。両足を紐で縛り、荷馬車で揺られて行くのを、羊に分かるのだろか・・。は「ジョンバエズ」の世界です。 荒地と、赤山の砂漠の道を3時間半走ると塩湖の先に標高3100mのブルンコルコが見えてきました。 ![]() ![]() さらに先に進むと、突然雲が切れて現れてきたのが万年雪を頂くゴングール峰(7,719m)とトムスタグァッタ峰(7,546m)をバックに控えたカラクリ湖です。 お決まりの青い空はますます青く、湖はそれを映してもっと紺碧色になるのでした。岸辺にはゲル(テントの家)が並びキリギス族の人々が生活しているのです。ここからもう少し足を伸ばせば桃源郷フンザのあるパキスタンだ・・・。次はクンジュラブ峠越えか?・・・。 ![]() ![]() バスがカシュガルに戻り、ホテルへチェックインしてからアパク・ホージャの墓を見学しました。 カシュガルから東5キロのコカンド村に、1640年頃に活躍したホージャが祭られている墓があります。彼はイスラム白山派のリーダーと言われています。建物の高さは26m、屋根のドームの直径17m、柱は一切使われていません。外壁は瑠璃タイルが鮮やかな緑光を反射させ、周りの小墓群とは格の違いを見せ付けていす。また、ホージャ一族の娘のイパルハンは清朝の乾隆(けんりゅう)帝に嫁がされ、死後ここに埋葬されていると思われ、彼女は「香妃」と呼ばれていたため、この墓は香妃墓とも地元では言われています。 ![]() ![]() 「祭日の礼拝所」という意味のエイティガールとはアラビア語とペルシャ語のミックス語。ここは新疆ウイグル自治区で最も大きい礼拝所で、イスラム教徒にとっての精神的なよりどころです。 15世紀中頃にカシュガルの統治者「シャクルミール」によって建立されました。正門の高さは12mミナレットは18mです。 この寺に集う多くの人たちは、明らかに漢民族と異なり、東洋人でもなく、西洋人でもないが、彫りの深い顔立ちで、精悍で浅黒く、中央アジアの真ん中に立っているのが実感されるのでした。
トルファンから敦煌(柳園)へは寝台列車で行きます。 シルクロードのイメージは砂漠ととオアシスですが、ここほどそのイメージにぴったりの所はないでしょう。太陽の角度によって砂の色が変わり、歩けば砂が鳴き、日向と日陰のコントラストがなんとも言えない美しさを見せるのでした。山すそから砂漠の山頂「鳴沙山」を目指します。砂に足をとられなかなか進めません。写真屋のお兄さんに助けてもらいながら山頂に辿り着くと、眼下に月牙泉の三日月を見せてくれるのでした。さらに山頂から反対方向を望めばそこには絵に書いたような砂漠地帯がつならり、三蔵法師や、クマラジュウやの往時の姿が想像されるのでした。 |