ウズベキスタン


   

観 光・買 い 物・グ ル メ 編
もともとフランスの植民地であったこの国は、見方によっては大変ヨーロッパに似たところがあり、他のイスラムの国とはちょっと違うところがあったりして面白いものを発見することが出来るのです。植民地時代にはフランスの作家や画家が多くいたわけですから文化もおのづと違ったものが醸し出されたわけです。

ウルゲンチ

チェニス「シェラトン」で朝食
ドーハから5時間余りのフライトでチュニス着朝の05:30。 パスポートコントロールを出れば日本人旅行者は税関もノーチェックで通過でした。冷房の効いた室内から飛行場の外に出れば、朝なのに気温は34℃、早くも暑い一日が始まります。チェニス着後最終日に宿泊する予定の「シェラトンホテル」でゆっくり朝食を楽しみます。テラスからチュニスの町を眼下にゆっくりと時が流れて行きます。ここで200ドル両替1ドル1.3Dの計算、1DRが85円相当です。さっそく市内観光へ出発。

ベン・アリ大統領は強力なリーダーシップの下、近代化・西欧化を推進する一方で、社会主義運動及びイスラム過激主義運動を弾圧し、政治的安定を維持してきました。もう20年もこの地位にいるわけで相当な権力を持っているのです。ガイド曰く選挙には一度も行っていないとか・・・。

ウルゲンチ

マリーナと地中海
シディ・ブ・サイドに入る前にシーサイドのレストラン「ラ・グレット」で昼食です。
なんだか知らない白身の魚を食べましたが美味しくないものでした。
春巻きサラダはさっぱりしたものでいけます。


ここは南地中海に面した石畳の坂道がある街。白い壁に輝く太陽・・・そしてドアーや窓が爽やかなチュニジアンブルーに塗装されています。そのコントラストがいろいろな角度から見える海とマッチして、旅行者を楽しましてくれるのです。
そして、ボーヴォワール、アンドレ・ジッド等がフランス植民地時代にこの地を訪れた話など聞くと、もうそこはメルヘンの世界になるのでした。

シディ・ブ・サイドの家屋
白い壁とチュヌジアンブルーに塗られた窓と門扉が強い日差しに輝いています。
海の青さとマッチして、どこを見ても絵になるような坂の多い街なのです。 多くのヨーロッッパからの観光客が集まっています。フランス、イタリヤ人が多いようです。アメリカ人は見られません。日本人観光客もいません。MIは魔よけの「ファティマの手」をゲット、定価の4分に1までは値切りたいところです。

ファティマの手
ファティマの手とは地中海一体でよく見かけるモチーフ。ムハマンドの娘ファティマは慈悲深く、その手を翳すと魔よけになったとか、家のドアーに付けられている事が多い。お守りのペンダントとして良く売られています。

カフェ・デ・ナット
1987年11月7日広場から白い緩やかな坂道を歩いていくと、街かどに白い階段があり旅行者が多く座っています。そして、その上に世界でもっとも古いカフェと言われている「カフェ・デ・ナット」が現れるのです。有名な作家や芸術家が好んで訪れたとか・・・。写真集や絵画に描かれた場所なのです。ここがこの小さな町の中心地。ミントティが有名ですが、この日の当たるテラスで飲む「甘いトルココーヒー」が旅の疲れを癒してくれるのでした。明らかにフランス人の好みのテラスという感じでした。

ウルゲンチ

カイルアンの大モスク
ここは北アフリカにおけるイスラム教発祥の地です。
7世紀イスラム軍を率いて北アフリカを征服したウマイヤ朝の将軍ウクバ・イブン・ナーフィが小さな礼拝堂を建てたのが起源です。
現在のものはアグラブ朝時代のもの。屋内と中庭で1万人が一度に礼拝できるそうです。
回廊


シディ・サハブ霊廟
モハメットの生前を知り、交流もあった初期のムスリムのシディ・サハブが老いてなお北アフリカの聖戦に参加しカイワランで病死した。彼はムハマンドの形見の髭を持っていたので、このモスクは別名「床屋のモスク」とも言われています。

モスクの中ほどに置いてある
水瓶、素焼きの為水が外に染み出し、気化熱で瓶が冷やされつめたい水が確保されています。さすがに飲むことはできませんが、手を浸してみるとひんやりと感じるものでした


カイルアンのスーク入り口
高さ8m厚さ2mの城壁を持つメディナの入り口に世界遺産のマークが誇らしげに貼り付けてあります。グランドモスクを含めたこじんまりとしていますが、色とりどりのカーペットを店頭に並べていますがすばらしいものがいっぱいありました。
女性側の
結婚式のお祝い風景、中央の白装束が新婦さん。男女別々にお祝いするそうです。

カイルアンスークの風景
雑貨が安い 甘いお菓子作成中 宝石屋「14K」 カーペット屋

チュニジア人のお宅で家庭料理

農園を経営しているオーナーの家での食事、フルシャフさんの自宅で昼食です。
周りは大庭園、一面の八つ目ヤシの大群で実がたわわに実っていました。、ヤギも多くの飼っていて「メイメイ」鳴くのでした。庭先の地下から80℃位の温泉がでていました。
オアシスを利用した多角経営が成功して、すごい迫力を感じるお家でした。料理もパスタトヌードルスープ・クスクスは癖がなく美味しく頂きました。

ナツメヤシの木 クスクス料理 マカロニ入りスープ

ウルゲンチ
朝食後4WDで駅まで送迎し、観光列車レザー・ルージュでセルジャ渓谷へ


レザー・ルージュ(赤いトカゲ)
この鉄道
はリン鉱石を沿岸地方に運び込む為にフランスにより建設されたもの、それは現在もその用途に使われているますが、観光列車「レザールージュ(赤いトカゲ)」としても活用しています。
それに乗車してセルジャ渓谷(ベルベル語で深い谷の意味)の絶景を楽しみながらゆっくりと1時間の列車の旅をするのでした。列車の最後尾に席を取りました。観光客が結構乗ってきて車内は国際色豊か、様々な国際語が飛び交います。途中2回の見学停車があり、車外に出て景色を堪能できるのです。

終着駅では先ほどの4WDが待機しています。そこから、オアシスの廃墟ジェビカやテルメザ、チュニジアのグランドキャニオンと言われているミデスへ。

ミデスの渓谷
アルジェリアの国境近くの村。1969年の大洪水時3週間も降り続いた雨で家々の屋根から建物のほとんどが流されたというミデスの廃村の先にバルコニーオアシアウがあり、そこから切り立った深い渓谷が望めるのです。谷底ではいろいろな映画が製作されたそうです。
グランド・カスカドェピカから少し入った山際に滝があります。こんな所に豊富な水があり驚きです。子供達が水遊びに気持ちよさそうに興じていました。


タメルザ・パレスのレストランからの風景
昼食は眺望のすばらしい「タメルザ・パレス」でします。

このホテルはナツメヤシの茂る山岳オアシスの上にあるので、眼下にベルベル人の山村と岩肌が壮大な景色を作り出しているのです。
映画「イングリッシュ・ペイシュット」の撮影現場となったところです。窓からの景色が素晴らしいことと、料理が旨いすばらしいところです。

サラダムース チキンの煮込み



映画「イングリッシュ・ペイシュット」
第二次大戦末期サハラ砂漠を舞台に、身を焦がすような恋の情熱をロマンチックに描いた、アンソニー・ミンゲラ監督が贈る珠玉のラブ・ストーリー・・・。
製作:1996年 アメリカ  ミラマックス・インターナショナルプレゼンツ  
原作:マイケル・オンダーチェ「イギリス人の患者」
出演:レイフ・ファインズ(アルマシー)
クリスティン・スコット(キャサリン)ジュリエット・ビノシェ(ハナ)ウィレム・ディフォー(カラヴァッジョ)

ウルゲンチ オング・エル・ジャメルにて懐かしいサハラ砂漠の夕日を見に行きます。

4WDで洗濯板状態の荒地と砂漠を走り抜けます。ドライバーは優秀で乗りこなしますが、シートベルトは硬めに閉めました。こんなところでひっくり返って怪我でもしたら「しゃれ」になりませんから・・・。

途中砂漠の中に映画「スターウォーズ」の撮影に使ったセットがあり、興味のある人たちはもう大騒ぎになっていました。


Star Wars撮影後のホテル入り口

「アナキンの故郷」 「ルークの故郷」









ウルゲンチサナラ砂漠の入り口の町
馬車でオアシス
農園見学
コーラ飲みラクダ
動物園入り口
塩湖ショット・エル・
ジェドリ湖
何処の塩も
見た目は一緒


トズール市内観光。様々な形に煉瓦を組み合わせた建物が印象的なオアシス地帯の特色あるメディナを散策。サボテンの実を小型トラックいっぱい積んで売っているが、瞬く間に売れて行きます。
煉瓦造りの店舗 サボテンの実売り お土産屋群 町の焼肉屋さん


ウルゲンチ
マトマタの洞窟住居

アラブ人から難を逃れて山の中腹に穴をほり住居を構えたベルベル人の住居、洞窟内の住居で粉引き、糸紡ぎ等行いますし、穴倉でラクダまで飼っていました






ウルゲンチ
ドゥーズにてラクダ乗り
砂丘を散策、それぞれのラクダの目は涼しそうですが、炎天下のなか、一人一頭のラクダの背に乗るのですが、お尻の上に乗る感じになり、歩くたびに左右に大きく揺れるので、乗り心地は大変悪く、一日50キロも乗るものなら身体がバラバラになるほどではないでしょうか。

ラクダのこぶです。 この中には水が入ってるわけではありません。こぶの中身は脂肪です。重さは80kgに達した例もあるそうですが、 普通は50kg程度です。 夏では1週間以上、飲まず食わずで旅を続けることが できます。こぶの脂肪を消費することにより必要なエレルギーを 得ることができるからです。 さらにラクダは、コブの脂肪を使って、体の中に水を作り出すことができる。これは代謝水(たいしゃすい)とよばれている。従って、栄養が足りなくなるとともにこぶは小さくなっていきますが、 栄養を取れば、すぐに立派なこぶに元通りします。 老齢のラクダもこぶが小さくなったり垂れたりするようです。 こぶは栄養を蓄えるだけでなく、 砂漠の炎熱の日差しを防ぎ、 体の下部からの体温の発散をしやすくしています。 ラクダは、水分を消費しないよう ほとんど汗をかかないので、 体温調節の機能はかかすことができないのです。ラクダは同じ側面の足を出して歩きます(側対歩)。 ヒトでいうなら、歩くときに右手を右足を同時に出すということです。 身近な犬を見て下さい。 おそらく、左前足・右後ろ足・右前足・左後ろ足というふうに 動かしていると思います。 奇蹄目の馬やろばなどもこのように歩きます。 側対歩は体が揺れますから、ヒトにとってはあまり良い乗り心地とは言えないようです。ラクダが「砂漠の舟」と呼ばれるのは 、右側・左側・右側・・・と側対歩で歩く姿が、舟をこぐ様子に似ていたからとも言われています。

ブリック ひよこ豆の煮込み
丘上のベルベル人の町「タメズレット」HOTEL:クイセラKOUSSEILAで宿泊
夕食はナグレブの代表的な料理ブリック(春巻きの皮の中に卵やひき肉、野菜等細切りのものを詰め、油で揚げたもの)。パリットした皮と卵のやわらかさのマッチングは悪くない。それとこのエリア独特の料理「ひよこ豆」の煮込み料理、これが口に合うので食が進みます。暑さバテも解消されるのでした。

 

現地食品屋で買った香辛料類
ガラムマサラ ペッパー クスクス コリアンダー 辛味ハリサ


ホテルJULIUS
エルジェムはオリーブの産地なので、円闘技場近くの土産屋に寄ったがどこの店にも置いてなかった。この町の周辺はオリーブ畑が延々と続き圧倒される広さです。いつまで行ってもオリーブ畑が続くのでした。 

ホテルジュリウスで昼食の時、ウエイターが紅茶をこぼしてズボンを汚してしまい、注文を付けたらワインのハーフボトルをサービスしてくれました。そんなことならもう一方の側にもこぼしてくれれば・・・。地元産のMAGONです。

ウルゲンチ

チュニジア第二の都市スファックス。この国の商業の中心地のメディナに立ち寄り、靴の専門店でサンダルを12ディナールでゲットしました。その他衣料やカバン、革製品、の専門店が一杯。もちろんスーク内は多くの小さなモスクを見ることができます。また、入り口にはショッピングセンターがありお土産等が満載されています。
オリーブオイルをついに土産屋で発見しましたが、1リットル10ディナール程で安く売っていました。でも良く見ると蓋からオイルが漏れているので、買いませんでした。それはそれで正解でした。後で行ったスーパーでは半値以下でした。

ディワン門 魚市場の魚 魚市場の海老 城壁

木工細工屋 野菜のピクルス 香辛料 手縫い革サンダルゲット

ウルゲンチ

チェニジア第三の都市で紀元前9世紀にはフェニキア人バドルメトウムという港町を建設。その後ローマ人はアラブと歴史の支配者が重要視した港。アラビア朝の頃になると現在の港町が建設されました。


スースメディナ入り口 大勢の買い物客 揚げせんべい? どこからでもミナレット

カンタウィ泊HOTEL:ディア・エル・アンダルースDIAR EL ANDALOUSは海岸沿いのリゾートホテル、ホテル内を水着姿の女性が闊歩しています。イタリヤ人が多く、ホテル内の銀行ではもっぱらユーロの両替が多いようでした。レストランはいっぱいの状況で子供も多く、海水浴にでも来ているのでしょう。

ウルゲンチ
ナブール:焼き物で有名な街
陶器の名産地ナブール行く日はMIは朝から落ち着きません。今回の旅の目的地の一つですから。昔から陶器の産地でチュニジアの美しいタイルもここで多く生産されたそうです。
17世紀スペインを追われたアンダルシア人がここに定住して釉を陶器つくりに生かす事を伝承し、産業の町となったのでした。案内された工房には良い焼物のが多く見られました。焼物の背にはブランドのサインが入っていました。

その後スークに行きましたが、先程行った工房の焼き物よりいい物は有りませんでした。



ナブールの工房でブルー系をゲット
蓋付き鉢 盛り皿 小皿 窯元マーク

ナブールの観光売店街
人出はご覧のとおり 腕輪ゲット(名いれ) オレンジの焼物 焼物屋がいっぱい

ウルゲンチ

ボン岬にある屈指のリゾート地。ホテルやレストランも気の利いたものが多く、休暇中の国内外の観光客で溢れかえっています。ビーチからみる景色も群を抜いており、観光船やコバルトの海が光り輝いているのです。904年に造られたメディナの壁も真っ白ですが、海の青さを反映してブルーに映り、お土産屋が賑わいを見せるのでした

ハマメット
ハマメットは作家アンドレ・ジイドや画家クレーを魅了した街

海がコバルト色に輝き、海岸にはリゾートを満喫している人であふれる明るい町。カスバの中にはお土産屋が満載で飽きることを知らない、海岸のレストランで一休み、地中海の風を受けて、珍しくMI:体調を崩す熱中症かも。どこへ行っても暑いから、レストランも冷房が効いていない。




ウルゲンチ

チュニスのバルドー博物館:ローマ・ビザンチン時代 の見事なモザイクが展示されている

館内は冷房がきいておらずものすごく暑い、しかも瞬間的だがこの混雑ぶり、人気があるのだろう。そんな中皆んな熱中症もどきです。館から出たところに、アイス屋がありドリンクを売っているが、ほとんどの人が吸い込まれるように買っている。しかし、ドリンクはそれほど冷えていないし、アイスはとけかかかっているしろものである。



ユリシーズとセイレーンのモザイク
ホメロス オデッセイア 題12歌魔女キルクのオデッセウスへの警告「お前はセイレ−ンに出会うだろう。彼女等に近づくと、ことごとくその魅力に惑わされ、前もって警告を聞かずにその歌声を聴けば二度と妻子の待つ家に帰ることはできない」セイレーンの透き通る歌声は男の心を捉えて離さないのだ。

魔女キルクはオデッセウスに耳を蝋で塞ぐように忠告する。しかし彼は美しいセイラーンの歌を聴いてみたい。そこで彼自身を船のマストに括りつけておくよう忠告する。さもないと海に飛び込んで二度と船に戻る事がないからだ。

1819年フランスの発明家シャルル・ドゥ・ラトゥールは穴の開いた円盤を回すと鋭い音が出る道具を発明した。ホメロスの海の妖怪女が頭に浮かびその道具の名前を「サイレン」と名づけた。

チェニスでのお土産
上品なお菓子やさん
ここでをゲット
極上のオイル
は生で飲む
ナツメヤシのお菓子マリア様
も産前に3つ食べました
スーパーで見つけたオリ
−ブオイル、これが旨い


牛肉にパルメザン ミックス料理

夕食はチュニスのメディナで伝統的なレストラン「エッサラヤ」で。一品は牛肉をたたいた上に細いチーズを乗せグリルしたものに野菜がそえてあるもの。もう一品はグリルのミックス盛り合わせで、まあおいしい部類かな・・。尚、このレストランではギターの弾き語りが入っていましたがジャズナンバーの「チェニスの夜」のリクエストには無反応でした。


チュニスのメディナ
暑く乾燥している季節にこの国を訪問しましたが、暑さ対策のため、我々の頭にはアラビヤ風の布切れを巻いているので、道行く人や店員からは「アリババ・ジャパン・中田」と声をかけてくるのです。でもモロックなどと比べれば人々はいたって素朴で親切、しつこくもなく、快適な旅を続けられるのす。

イスラム教国であることも忘れてしまうような旅行環境でした。最後の二晩はホテルシェラトン……さすが、シャワーもお湯がたっぷり出て安心な宿泊ができました。旅の垢をここで落として帰国の途についたのでした。