7.香港・マカオ(57)・中国(しんせん)1997年9月![]() ![]() ![]() 長野県の槍ヶ岳へ登る計画をたてていましたが、天気予報で大きな低気圧が来る予想をしていましたので、急遽予定を変更して、休暇も取ってありましたので、山は逃げないとか言って、なんとなく香港へ行ってしまいました。HISでキップが取れ、電話でホテルを予約して出発。到着後さっそく上環へ地下鉄で行き朝?粥を「羅富記粥麺専家」で賞味○です。雨の中「文武廟」へ、中環の「ランドマーク」でコーヒーブレイク、タクシーで「誠豊工芸公司」へ行き「磁器・景徳鎮」モドキをゲット。夕食は香港在住の友人araiと飲茶。 ![]() ![]() ![]() 翌日はマカオへは高速豪華船で渡り散策、セントポール大聖堂やペンニャ教会、ギア要塞の砲台を見て再度香港へ。 その晩は、定番アバディーンの水上レストランで食事。 ![]() ![]() ![]() 国境で簡単にビザが収得出来、外国人は優先的に待たずに入国出来る。町中にはどんどん超高層ビルが建設されていたが、中はどこもガラガラであった。ビルの周りは貧民街の様相で、本当に事務所が何時いっぱいになるのか心配だが、中国のバイタリティはどこでも凄い、この勢いでやがてはわが国を追い越して行くのではないだろうか・・・。 8. ![]() ![]() ![]() 到着は午後、翌日ダムアンサドアクの水上マーケット、食べ物や着るものを一杯売っています。椰子の実は生臭いけどおいしい。あまりものを買わないで試着し写真だけにすると経費がかからない事を発見しました。王宮とエメラルド寺院のピカピカはびっくりもの・・。ワットポー(涅槃仏)のなんと大きいことか。 MIは洋服をオーダー ![]() ![]() 仏頭が置かれた後に根がはびこり、木の中に埋め込まれてしまった。おどろきもものきです。 アユタヤの日本人町跡は ![]() ![]() ![]() クワエ川の戦場に架ける橋「カンチャナブリ」では頭をさげました。 1942年にこの ![]() ![]() 9. ![]() ![]() ![]() ソ連が駐屯している頃は、ベルリンは昔は車でなかなか入ることが出来ませんでした。壁がなくなり、東側にも自由がもどりブランデンブルグ門を見ることできました。市内は大改造中、ドイツの首都に返り咲く予定でこれからのEUの中心地となるでしょう。壁は ![]() ![]() ![]() ![]() ドレスデンへ、建物がいい色になっていますが、スモッグでこんな色になったそうです。戦争ですべてが破壊されて建て直しました。ブリュールのテラスは価値有り。 ![]() ![]() ![]() チェコのプラハとくれば、カレル橋と王宮。世界に橋はいくつでもあるけれど、もっとも味のある橋の一つでしょう。聖ビート教会のステンドグラスはグーだそうです(MIの趣味)。旧市街広場にはヤンフスの像、仕掛け時計が時を告げます。歴史を見つめた「プラハの春」ブアツラフ広場に感激。ここにソ連戦車が入り込んだとは・・・。プラハではパプリカをゲット。 ![]() ![]() ![]() オーストリヤに入ると明るい日差しが差し込みます。BC1000頃から岩塩が掘られているザルツブルグはサウンドミージュックを思い出すところ。ザンクトギルゲンにはモーツアルトの母の生家がありました。ウイーンはシェーンブルグ宮殿が圧倒的に観光客の心をうばいます。17世紀にトルコ軍に占領されていたことがありコーヒーが広まり今のウインナーコーヒーが確立・・・勿論忙しく「カフェ・モーツアルト」で飲みました。 ![]() ![]() ![]() ローマの要塞があった場所に15世紀にゴシック様式の要塞がここに建設され、18世紀になって、マリアテレシアによって王宮としてリニューアルされました。スロバキヤの首都プラチスラバはまだまだこれから発展していく町、チェコと別れてこれから何処へ行くのでしょうか。 ![]() ![]() ![]() ![]() 14世紀にトルコの侵略から逃れたセルビア商人達が 17世紀にギリシャ人と共に街を造り、カラフルな町並みが残っています。 インド人の店で「飾り皿」購入。陶芸家マルギット美術館も見学しました。 ![]() ![]() ![]() ![]() やっぱり買い物は市場が一番です。肉の加工品や新鮮な野菜が溢れています。民芸品等もたくさん有りMIは張り切 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 帰国途中ブタペストから予定の飛行機が遅れ、アムステルダムでJALの最終便に乗れず、KLMからもう一泊のサービスがありました。午前中にさっそく市内観光、定番の運河観光船に乗ってクルーズ、陸上ではアンネの家を見学し沈黙、戦争はいやですネ。でも、ずいぶん得をした旅でした。 9. ![]() MIが一人で出発、デリーや風の宮殿、タジーマハール等を見学。ホテルのバルコニーでタバコを吸っていると、係りの人が飛んできて「中に入って下さい。蚊に刺されたらマラリヤになってしまいます」怖い国です。プールにも入らないように、大腸菌の宝庫だそうです。事情はあるだろうけれど・・・核開発やめて、インフラ整備したら・・・インドさん。 ![]() ![]() ![]() ![]() 10.南米:ペルー・(62)ボリビヤ(63)・ブラジル(64)・ウルグァイ(65)・アルゼンチン(66)1999年10月 アメリカのロスで乗り換えて、フジモリさんのペルー、リマへ。あの日本大使館人質事件があった後だけに、とにかく外出は危険なので外に出ないように言われどうしです。 翌日ナスカの地上絵をセスナ機から見学、はっきりと見渡せ、あの不思議な絵文字になぞをあらためて感じました。空気が乾燥し ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 首都リマ・マルマス広場を中心に ![]() ![]() ![]() インカは比較的新しい文化で1500頃の話、それ以前はチャンカ文明だそうです。インカ帝国の首都クスコ(標高3360m)の石文化はすごく精巧に出来ておりびっくり。12角で出来た石の塀の成功さはその後来たスペイン人より遥かに技術が進んでいます。息切れの人が出てきました。 クスコ郊外にあるサクサイワマンの要塞跡の大きさと精巧さにはすばらしいものがありました。 ![]() ![]() マチュピチへ行く玄関口です。列車を待つ間に多くのインディオがお土産を売りにきます。 大変安いのに値切ったりしています。 この帽子は5ドルでした。 ![]() ![]() ユカイから列車とバスで憧れのマチュピチュ(老いた峰)へ、まあすごいこと、山の頂上(2280m)に町があったとは、これは驚きです。下からは見えない空中都市、行って良かった!!山頂レストランでビュッフェ昼食です。下りのバスは名物のグッバイボーイの登場でした。彼等もある年齢に達すると若い子供たちに交代するそうです。 ![]() ![]() ![]() いよいよアンデスの高原へ入ります。途中のララヤ峠は標高4335m富士山より高いです。同行者のほとんどが高山病でダウン、ホテルで酸素吸入しています。元気な ![]() チチカカ湖も神秘的、本当に浮き草の島で生活してるのだから驚きです。 ![]() ![]() ![]() ボリビヤに入り、ティワナコ遺跡(3800m)見学、BC600からAC1200まで続いた文化、有名なコンティキが神殿の中央にありま ![]() ボリビヤの首都ラパスは標高3650m、旅行者はほとんどが高山病でぐったりですが我々はOKでした。アンデス山脈のイリヤマ山6480mが出迎えてくれました。圧倒される風景の連続、何時間もかけて来た価値がありました。 ![]() ![]() ブラジルのマナウス(ゴムの産地)はジャングルの中の町、ネグロ川(黒い川)とソリモンエヌス川(茶色・アマゾン本流)が合流するがいつまでも2色が交じらない川のほとりにあります。 ![]() ![]() アマゾン川クルーズでは、生牛肉を餌にピラニア釣りをしましたが、MIがTOPで8匹の成果、船上レストランで唐揚げにしてもらいグルメ、まあまあ ![]() リオのホテルはコパカバーナ海岸前の「メリディアン」です。ポンデ・アスカール(砂糖のパン)、コルコバード丘のキリスト像は霧の中でした。「イパネマの娘」はいませんでしたが、サンバと本場のシュラスコは美味しくて相性がよさそうです・・・。サンパウロではお茶の水橋と東洋人街を見学。 ![]() ![]() ![]() ![]() その後飛行機でついにイグアスの滝へ。これで世界の三大瀑布(ビクトリアフォールズ・ナイヤガラ)を見たことになりました。ああ感激・・。 ![]() 途中世界最大のダム「イタイプー」を見学のためパラグァイに入り込みました。 ![]() アルゼンチンは白人の国、有色人種は国外へ追いやったのでしょうか、いません。ヨーロッパそのままの風情です。カミニート(タンゴ発祥の地)やタンゴショーを見ましたが、マドンナの映画「エビータ」とダブってしまいました。でもエビータは現地ではヒロインなので、セクシャルなマドンナは不評のようでした。ジャカランタの花が満開の時に訪問できてラッキィでした。南米では一番生活しやすい国でしょうか・・・。 さて今度は2000年6月にスペイン・ポルトガル・モロッコへ行き、レンタカーを借りてドライブする予定です。アンダルシアではスペイン国有ホテルのパラドールを利用(インターネットで簡単に予約できました)します。車は「ハーツ」で借り、その他のホテルはCASで手配、航空券はHISでゲットしました。 どんな旅になるやら・・・こうご期待といきたいものです。 |